盟友に捧げるレクイエム 急逝した元ノムさん番記者とノムさんとの思い出【竹下陽二コラム】
2022年6月17日 10時17分
◇生涯一野村番がつづる「ノムさんジャーニー」その22
私ごとで恐縮だが、今月で定年である。名古屋本社で定年者の集まりが開かれるということで、休日を利用し、1日早く、名古屋入りした。会いたい男がいた。ノムさんについて語り合いたい男がいた。他社のT記者である。東京勤務の私は、普段は、全く連絡しないが、名古屋に行くと、必ず酒を酌み交わす男。しかし、1年ぶり以上の電話が通じない。イヤな予感がして、関係者に聞いたら、昨年、亡くなったという。T記者に「竹下さん、相変わらず、ニュースに弱いですね。へへへ」と笑われたような気がした。仮に言われたとしても、全く、いやみのない男だから、私は不快には思わなかっただろう。
何の縁か、90年代の野村ヤクルトのみならず、野村阪神もともに野村番だった。3年連続最下位の責任を取って、阪神監督を辞任、1年の浪人後、社会人野球のシダックス監督として、再起を図るノムさんを取材というより、一緒に激励に行ったこともある。
「ひもり・しんいちです」。その日、ノムさんは、炭火で暖をとりながら、意味不明なことを言って、私たちを出迎えてくれた。2003年1月のこと。東京・調布市の関東村内のシダックス練習場であった。
わたしが「ひ、ひもり・しんいちィ~? なんですか、それ? 森進一なら知ってますが」と問い掛けると、ノムさんは「昔、そんな俳優がいたんや」と言いながら、背中を丸めて棒の切れ端で炭火をいじっていた。時代が違うので、本当にそんな俳優がいたのか知らなかったが、ノムさんの言いたいことはなんとなく分かった。ひもりは、「火守」である。「オレはこうやって、何もせず、日なたぼっこしながら、火の見守り役をしてるだけや」という意味であっただろう。T記者との思い出として、栄光のヤクルト時代や屈辱まみれの阪神時代の一コマではなく、寒風吹き抜ける、観客ゼロのだだっ広いグラウンドの一角で、ノムさんと話したワンシーンが思い浮かぶとは、どういうことか。「ひもり・しんいちデス」と自嘲気味につぶやいたあの日のノムさんを、その後、ことあるごとにT記者が何度も面白おかしく、愛着を込めながら再現したからだと思う。貫禄十分で年齢より老けてみられることから、丁重な言葉遣いでT記者に語りかけるノムさんの物まねもまた、絶品であった。
T記者はきちょうめんでもの静かな男であった。決して、ガツガツ取材するタイプではない。しかし、周りへのアピールのためではなく、鋭い観察眼で取材対象を見詰め、本質を見抜く才能があった。誰も気づかない記録を見つけ、ピンポイントで質問をした。年下ながら、彼のひと言ひと言にひらめきをもらった。彼は、よく私の記事も読んでくれていて、感想を言ってくれた。自信を失いかけていた時、絶妙のタイミングで投げかけられる、彼のさりげない優しさに満ちた言葉に勇気をもらった。一方で飾らない言葉でつづる彼の原稿に、スポーツへの愛を感じた。その全てを伝えたことはなかった。こんなことなら、言っとけば良かった。
今ごろ、天国でノムさんと再会し「なんや、おまえ、こんなところでなにしとるんや!」と怒られてるんじゃないかと想像してみた。全く、人生ってやつは、はかなく、時に非情…。早すぎるぜ、わが盟友…。定年前、60男のひとりぼっちの名古屋の飲み会。コロナ禍でほとんど酒を飲まなくなった私だが、1杯目のハイボールは敬意を表して、ノムさんに、2杯目は愛すべき男・T記者にささげた―。
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