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サポーターに愛された快足FW杉本恵太さん「すごいな」本田圭佑&吉田麻也との記憶【名古屋グランパス30周年】

2022年5月31日 06時00分

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現在は春日井クラブでプレーする杉本恵太さん

現在は春日井クラブでプレーする杉本恵太さん

 名古屋グランパス30周年を記念し、クラブOBに歴史を聞く「グランパス30周年 8人の記憶」。第3回は、快足FWとしてグランパスで6年間プレーし、その熱さでサポーターからも愛された杉本恵太さん(39)。2010年のJ1初優勝へ向かったチームの状況と、世界の舞台へ羽ばたいた同期のグラ戦士との思い出を語った。
   ◇   ◇
 僕は大学4年の時に特別指定で大宮にいたんですが、公式戦に出られなくて。当時は暗黙の了解的に特別指定先に入るものだったんですが、グランパスからお話をもらったことで、チャレンジしたいと思って決めました。
 同期の(本田)圭佑とは、1年目にずっと一緒にいましたね。寮生なんだけど、1年のうち3分の2くらいは安くん(※)の家にいて。ほぼ居候です。朝、僕が外泊届を書いてると圭佑が「スギくん、俺のも書いといて」みたいな(笑)。圭佑が早くからマネジャーをつけたのは、安くんの影響ですよ。ほとんどサッカーの話でしたが、たまに彼女の話とかもしていて、圭佑の今の奥さんの話もしましたね。
 どちらかというと、麻也のほうが今みたいになるとは思ってなかったですね。しっかり者でしたけど、当時はユースから上がったばかりで、プレーに波がある印象でしたね。ああやって代表キャプテンまでやってることが、すごいなと思います。麻也は今でも連絡したらすぐに返してくれますよ。あいつと仲が良かったのは(川島)永嗣とか、(藤田)俊哉さんとか。賢いというか、海外経験者と話して情報を取り入れながら「海外に行くには」ということを考えていましたね。本田は少し違って、リサーチはするけど自分で決めた道を行く、という感じ。
 チームが残留争いの時は、相当ヒリヒリしました。勝てない時は15、16位とかで。勝ててない時期に降格圏にいると「これはやばいな」と。それこそ味方がクリアしたボールが誰かの頭に当たって失点して負けたり、予期せぬことで負の連鎖みたいなところもありました。
 2008年にピクシーが来て最初に変えたのは、玉田さんの再生ですよね。僕らから見てもずばぬけてうまい選手でしたが、フェルホーセン監督(06、07年)の時はなかなかうまく起用されていなくて。ピクシーが来てすぐに「おまえがキングだから、おまえがこのチームを変えなければいけないし、おまえがまず変わらなければいけない」と話したのがきっかけです。「ピクシーすごいな」と思うのは、最初にそこに行ったところですね。
 今はグランパスサポーターを「ファミリー」というそうですが、ピクシーが監督をしていた当時にも「僕たちはファミリーだから」とよく言ってました。そういう意味では、最初はピクシーの発信だと思いますよ。
(※)元北朝鮮代表MF安英学(アン・ヨンハ)。05年にグランパスに所属。
▼杉本恵太(すぎもと・けいた) 1982年6月13日生まれ、茨城県潮来市出身の39歳。鹿島高から流通経大を経て2005年にグランパス入り。07年には日本代表候補にも選出された。10年末にグランパスを退団し、徳島、JFLのマルヤス岡崎などを経て、現在は愛知県1部の春日井クラブで選手、監督、GMを兼任し、Jリーグ入りを目指している。J1通算173試合、27得点。娘のりいなはアイドルグループ・SKE48の11期生として活動中。

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