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元中日4番の菱川章さん73歳で死去「星野と岡山弁やりとりがなつかしい」ドラゴンズOBが悼む

2020年3月18日 22時09分

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ヤクルト戦の9回裏一死一塁、左中間にサヨナラ本塁打を放ち、ナインの出迎えを受ける代打・菱川章(中)=1971年8月15日、中日球場で

ヤクルト戦の9回裏一死一塁、左中間にサヨナラ本塁打を放ち、ナインの出迎えを受ける代打・菱川章(中)=1971年8月15日、中日球場で

 1971年に18試合で4番を打った中日の元外野手、菱川章(ひしかわ・あきら)さんが16日に名古屋内で病死していた。73歳だった。葬儀・告別式はすでに近親者で行われた。転倒して入院していたが、突然体調が悪化したという。
 岡山市出身の菱川さんは倉敷工から65年に中日入団。70年にロッテに移籍した江藤慎一の後釜の外野手として期待され、71年4月10日の阪神との開幕戦(甲子園)に「7番・左翼」で出場。ソロ本塁打を放った。同11日の第1試合も4番で2試合連続となる逆転3ラン。翌12日付の本紙1面には「菱川 立派な四番 ムラ気の影なし 信頼にこたえ不敵な笑い」と紹介された。
 この年、49試合でクリーンアップを打つなど102試合に出場、13本塁打、38打点。72年も代打などで活躍したが、73年に日拓(現日本ハム)に移籍し、その年限りで引退した。実働9年で382試合に出場、133安打、24本塁打、74打点、7盗塁、通算打率1割9分1厘。
 ▽江藤省三さん「昔風のパワーのある選手だった。けんかも強かった。星野と郷里が同じで岡山弁で元気にやりとりしていたのがなつかしい。残念です」
 ▽木俣達彦さん「長打力があり練習では外野にポンポンと飛ばしていた。真っすぐに強いが変化球に弱かった。長打力は私よりあった。残念です」
 ▽大島康徳さん「まだ若いので残念です。ボクが年下だったが、ベンチでいろいろな話をしていただいた。おもしろい方でした」

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