中日エース含む6人永久失格…プロ野球八百長疑惑『黒い霧』 中日が“西鉄”と同じ運命たどらなかった理由

2020年4月6日 18時00分

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1969年に中日に入団した星野仙一(右)と1970年に入団した谷沢健一(1970年1月)

1969年に中日に入団した星野仙一(右)と1970年に入団した谷沢健一(1970年1月)

  • 1969年に中日に入団した星野仙一(右)と1970年に入団した谷沢健一(1970年1月)
  • 中日のエースだった小川健太郎(1970年4月)

龍の背に乗って[球界危機2、不祥事編]

 コロナ禍や戦災では一時途切れた球音は、黒い霧では途切れてはいない。しかし、間違いなく球界の危機だった。プロ野球史上最悪のスキャンダルは、1969(昭和44)年秋に端を発した。西鉄を中心とした八百長疑惑は、最終的に6選手が永久失格(のちに1名復権)となった。
 中日にとっても対岸の火事ではなかった。その6人の中の1人がエースだった小川健太郎。王貞治に「背面投げ」で立ち向かったサブマリンが、翌70年5月6日に警視庁に逮捕される。
 4人の永久失格選手を出した震源地の西鉄は、選手兼任監督だった中西太が引責辞任。あろうことか疑惑の選手に“逃亡資金”を与えたことが後に判明し、オーナーまで辞任した。後任の稲尾和久監督が懸命に立て直しを図ったが、ファンの支持を急速に失った名門は、3年連続最下位となった72年に球団を売却。残り1人の永久失格選手を出した東映も同じ年に身売りした。
 中日は小川の起訴を受け、契約を解除。70年5月28日付「中日スポーツ」紙面で声明文を出した。
 『(前略)戦力低下は避けられませんが、水原監督以下選手一同一丸となってこの試練を乗り切るべく努力をつづけております。今後は一試合一試合に新たな闘志を燃やし、真剣なプレーを展開して洗練されたチーム、ファンのかたがたから真に愛されるチームになるよう堅く決意(後略)』(原文まま)
 強い危機感はうかがえるが、ファンの不信は根強く中日も西鉄と同じ運命をたどっていても不思議はなかった。そうならなかった理由は1人で済んだこと、そして小川の逮捕容疑が小型自動車競走法違反だったこと。オートレースの八百長には関わったが、野球の八百長ではなかった。
 だが、それ以上に救いとなったのは、69年に星野仙一、70年に谷沢健一という球団史に残る投打のニュースターの入団だと僕は思っている。チームに新風を吹き込み、74年のリーグ優勝へと導いた。『チームの戦力低下』は避けられ『真に愛されるチーム』へと一気に変貌。球団存亡の危機を乗り越えられたのだ。
 先日、元阪神のジョージ・アリアスさんがツイッターで「こんな時、僕のメンター(仕事上や人生での指導者や助言者)の星野監督の言葉を思い出す」と発信した。それは阪神監督時代のスローガン。今こそかみしめたい。
 「Never Never Never Surrender!」。決してあきらめるな。その先には必ず希望の光がある。

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