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立浪監督ら両チームに教え子…PL中村元監督が「最初で最後」の始球式 2人がサインしたボールは“ある親子”へ

2022年5月25日 10時29分

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立浪監督(左)と言葉を交わす中村順司さん

立浪監督(左)と言葉を交わす中村順司さん

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って ◇24日 交流戦 中日5―8西武(バンテリンドームナゴヤ)
 伝説の名監督による「最初で最後」という始球式は、ワンバウンドで収まった。元PL学園高監督の中村順司さん。中日では立浪監督、片岡2軍監督、福留。西武も松井ヘッドコーチ、平石打撃コーチら両チームに教え子が並ぶ。背番号73のユニホーム姿に「すごく重いです」と背筋を伸ばしていた。
 1987年の甲子園で春夏連覇したのが、立浪監督ら「33期生」だった。歴代主将は選手間投票で決める。選ばれた本人が「自分勝手でやんちゃ坊主の自分がキャプテンなんてあり得ない」と驚いた。しかし中村さんには、立浪にリーダーの素養を感じ取っていた。ある強豪校との練習試合終了後。相手の監督が風呂に入りたいと言った。中村さんは立浪に「ちょっと見てこい」とだけ命じた。すると、汗を流した監督から「PLさんの強さの理由がわかりました」と感心された。
 「何があったんですかと私が尋ねたら、タオルやせっけん、シャンプー類がきれいに並べられていたと。彼のきちょうめんな性格もありますが、湯加減を見るだけではない。相手のことを考えられる、先を読める生徒でした」
 叱ったのは一度きり。外野からの送球が少し乱れた時、カットに入っていた立浪は不服そうに土をけった。中村さんは諭した。「あれをカバーするのがショートの役目、見せ場なんだぞ」。二度と同じ過ちは繰り返さない。名将をして「彼に頼っていた」と言わしめる名キャプテンだった。
 始球式で使ったボールに、中村さん、立浪監督がサインをして贈った親子がいる。「33期生」の捕手だった伊藤敬司さんの桂子夫人(52)と娘の心菜さん(18)だ。伊藤さんは7年前に筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くなった。その直前まで病床を見舞い、励まし続けたのも「33期生」。ボールを受け取った桂子さんは言った。
 「立浪ドラゴンズ(の誕生)を主人は熱望していました。きっと喜んでくれていると思います」
 恩師と亡き球友が見守ってくれたが、連敗は止められなかった。しかし、中村さんはこんな言葉を教えてきた。「球道即人道」。グラウンドで起こることは、人生の縮図である。そう。必ず乗り越えられる―。

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