野球少年の息子は小5で逝った…東京D近くのそば屋の店主 息子の幼馴染がプロ野球選手になって店に来た日

2020年5月6日 12時11分

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幼くして亡くなった友の分まで頑張ろうと練習に励む石橋=3月14日、ナゴヤドームで

幼くして亡くなった友の分まで頑張ろうと練習に励む石橋=3月14日、ナゴヤドームで

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[渋谷真コラム・龍の背に乗って]

 5日は「こどもの日」。中日の石橋康太捕手(19)と、小学生時代に少年野球チームの後輩だった少年の父親との触れ合いを紹介する。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、非常事態宣言が継続されたばかり。それでも、東京都内でそば屋を経営する少年の父親をはじめ、多くの人がプロ野球の開幕を待ちわびている。石橋も、開幕すれば今は亡き後輩に元気なプレーを見せることを誓う。
 東京ドームから5分ほど歩いた場所に「六常庵(ろくじょうあん)」というそば屋がある。巨人コーチ時代の大西崇之さん(本紙評論家)に連れて行ってもらったのがきっかけで、遠征のたびに通うようになった。うまいそば屋と客。そんな関係が昨年から少し変わった。石橋、いや店主の柿野有さんにとっては、今でも「康太」。息子と幼なじみで「四街道ブルースターズ」の仲間だったと聞いたからだ。
 「翔は僕の1学年下で、本当にかわいかった。僕のことを『康太くん、康太くん』と呼んでくれてたんです」。石橋が過去形で話すのには理由がある。2013年1月、いつものように野球の練習に行こうとした翔くんは、突然、意識を失った。救急搬送されたが12日後に息を引き取った。まだ小学5年生。仲間はユニホーム姿で葬儀に参列し、翔くんを見送った。
 中学生になった石橋は、練習の帰り道にフラリと柿野家に寄っては仏壇に手を合わせた。プロ野球選手になった昨年末には初めて六常庵を訪れた。目を輝かせて野球の話をする「康太」を優しく見守ってきた柿野さんは今、歯を食いしばっている。
 「6日までは休んでいます。連休前もそうしていましたが、連休明けも夜は店を開けずにランチ営業だけですね。信じられないくらい人が減っています。売り上げは8割は減っていますから」
 僕が知っている水道橋かいわいは、大学生とビジネスマンでごった返すランチ激戦区だ。しかし、緊急事態宣言とともに街から人が消えた。5月末までの延長が決まり、苦境はさらに続く。それでも日々の暮らしに耐えながら、柿野さんは球音が戻る日を待っている。
 「苦しんでいる人は世の中にたくさんいる。だから野球を頑張らなきゃなって思います。それに、今でも翔は僕を見てくれていると思ってます。練習がきつい時とかに芝生に寝転がって空を見ると、いつも翔の顔が浮かんでくるんです」
 石橋は言った。野球が大好きな柿野さんが「今年は必ず」と話していたナゴヤドーム観戦計画も、どうやらお預けになりそうだ。だけど球音が響けば、水道橋の活気もきっと戻る。堂々と外食できる日が来たら、一緒にそばを食おう。それが僕と「康太」の約束だ。
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