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シンガー・ソングライター、フラメンコ舞踊家 石岡美紀さん

2022年5月23日 10時59分 (5月30日 10時26分更新)
 父は、はとバスの運転手で外国人観光客向けのツアーを担当していました。運転の仕事が大好きな人で、はとバスを辞めた後は仕出しの配達をしていました。夏休みは私も配達について行きました。母は別の会社のバスガイドで、観光名所の歌をたくさん歌ってくれました。幼い頃から歌手になると決めていたのは母の影響です。
 中学生の頃は女子プロレスのコンビ、クラッシュギャルズに憧れていました。プロレスラーになったらリングで歌を歌えると思い、うさぎ跳びをして体を鍛えたことも。ピアノをずっと習っていて、高校大学一貫校で音楽を学ぶ選択肢もありましたが、それでは情熱を全て傾けられないと思い、芸能事務所に入ることにしました。「プロレスはけがをするんじゃないか」と言っていた両親も芸能界入りについては「自分で決めたことは自分で責任を取りなさい」と認めてくれました。
 仕事を始めた頃、ペドロ&カプリシャスさんの新曲キャンペーンのMCを担当することになりました。今みたいにスマホでプロフィルを調べることもできず、母に「どんな歌手なの」と尋ねたことを覚えています。大人のアーティストを私のような小娘が紹介するのは力不足じゃないかと悩んだ時期でした。レコードデビューができた時は、あからさまに喜びを表すタイプではない両親がしみじみ喜んでくれているのを感じて、とてもうれしかったです。
 事務所を変わる際、レコード会社との契約も終わることになってしまい、それまで忙しくて通えていなかったスポーツクラブに顔を出しました。そこでフラメンコと出合い、歌手活動から離れてのめり込んでいきました。「うまくなりたいなら責任感を持って踊るのが近道」と助言され、二〇〇一年から講師活動も始めて、〇三年には東京都内で「石岡美紀フラメンコ教室」を開設するまでになりました。
 夫の別所秀彦(双子デュオ「VOICE」の兄)と一二年元日に入籍したのは、彼がウオーキング中にフラメンコ教室のポスターを見つけ、メールをしてきたのがきっかけです。デビューが同じ頃で、ライブなどで一緒になる機会がありましたが、当時は弟との見分けが付きませんでした。再会後は彼の人柄がよく分かって、私から「好きなんです」と気持ちを伝えました。
 昨年、歌手活動を再開する際、自宅でギターを弾きながら二人で練習しました。彼が「できるはずだ」と励ましてくれて、やっと自分自身で納得できる歌い方を見つけることができ、歌うことがずっと楽しくなりました。
 聞き手 中山 敬三
 写真 戸田 泰雅
〈略歴〉 いしおか・みき 1969年、東京都大田区生まれ。91年、アルバム「Good Morning」でデビュー。作詞家、DJとしても活躍。FM雑誌の人気投票で94年から2年連続で女性パーソナリティー部門1位となる。今年4月の名古屋でのライブの模様を収めたDVDを6月に発売。

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