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徳川家康の常用薬を再現 静岡の薬剤師・鈴木さん

2022年5月23日 05時05分 (5月23日 09時44分更新)
生薬を粉末にするのに用いた薬研を手にする鈴木寛彦さん=静岡市葵区で

生薬を粉末にするのに用いた薬研を手にする鈴木寛彦さん=静岡市葵区で

  • 生薬を粉末にするのに用いた薬研を手にする鈴木寛彦さん=静岡市葵区で
  • 再現された八之字(上)と、配合に用いられた12種類の生薬
 来年のNHK大河ドラマで主人公となる徳川家康が晩年に服用していたとされる漢方薬の一つを再現した薬剤師がいる。東邦大薬学部(千葉県船橋市)客員講師で、静岡市葵区の「むつごろう薬局」を営む鈴木寛彦さん(55)。家康は書物を読むなど、薬への関心が高かったという。薬の選定から晩年も足腰は強かったと推測されるといい、鈴木さんは「薬を切り口にすることで浮かび上がる家康像もある」と語る。 (藤嶋崇)
 鈴木さんによると、再現したのは無比山薬円(むひさんやくえん)という漢方薬。江戸時代の医師、三宅意安が一七〇〇年代半ばにまとめたとされる「延寿和方彙函(えんじゅわほういかん)」に生薬の配合が記されている。家康が薬たんすの八段目に保管したことから「八之字(はちのじ)」と呼ばれたという。
 中国・北宋最後の皇帝、徽宗(きそう)(一〇八二〜一一三五年)の命で編さんされ、家康も読んだとされる処方集「和剤局方」では、無比山薬円は「積聚(しゃくじゅ)(腫瘍の意)を破り胃腸を厚く」するなどと効能が書かれている。鈴木さんは「胃腸のほか、頻尿や高血圧などにも効果が期待できるバランスの良い漢方薬」と話す。
 用いられる生薬は、ヤマイモのサンヤク(山薬)や葉っぱを茶に用いるトチュウ(杜仲)の樹皮など十二種類。このうち、グミに似た果実を乾燥させたサンシュユ(山茱萸)など五種類は、ドラッグストアなどで市販される八味地黄丸と共通する。オットセイの陰茎と睾丸(こうがん)を乾燥させたカイクジン(海狗腎)を加えたとの説もある。
 鈴木さんは「八之字には、膝の痛みや足腰に良いボタンピ(牡丹皮)やケイヒ(桂皮)が含まれていない」と指摘。家康は晩年、頻繁に鷹狩りへ出掛けたことが知られており「鷹狩りなどで鍛え、高齢になっても足腰が強かったのでは」と推測する。「家康は胃がんで亡くなったとされる。八味地黄丸は胃を保護する生薬が入っていない」と、共通する生薬が多い八之字を滋養強壮や老化防止のために服用していたとみる。
 再現は、九年ほど前にテレビ局に依頼されたのがきっかけ。延寿和方彙函に記された配合に従い、薬研(やげん)で生薬を粉末にし、八時間ほど湯煎して濃縮させた蜂蜜を混ぜて丸薬にした。四キロ強、六百七十日分を作るのに十時間ほどかかり「粉末にするのが大変で手にマメができ、腕が筋肉痛になった」と振り返る。
 「八之字は消化器の弱い人向けの滋養強壮にいい。販売するのが夢」とも語るが、現実には難しい。薬として売り出すには治験が必要で、食品として認められるようにするにも巨額の費用が想定されるためという。
 鈴木さんは「家康は勉強熱心で薬にも詳しく、薬園も造った。薬を通して徽宗など中国の政治も学んでいた」と話す。

◆駿府に薬園 自ら調合も

 薬への関心が高かったとされる徳川家康は、晩年を過ごした駿府で薬園を設けた。四千三百坪ほどあったとされ、現在の静岡市葵区の静清信用金庫安東支店前に跡地の石碑がある。
 久能山東照宮博物館(静岡市駿河区)では、家康の遺品として調薬用の乳鉢や乳棒、処方集「和剤局方」を所蔵。家康が調合したと伝わる薬も残る。細倉和樹学芸員は「薬にかなり興味があったことは間違いない」と指摘する。
 江戸後期にまとめられた「駿国雑志」では、薬園は四千三百七十三坪で、当時栽培される薬種が百以上列挙されている。家康が種々の草木を植えさせたと記され、久能山の下にも薬園があったとしている。

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