潤よ よく頑張った 小松高OBら 元雄さんしのぶ
2022年5月23日 05時05分 (5月23日 10時17分更新)
甲子園初出場に導いたエース
小松高が一九八六年、創立初の夏の甲子園に出場した時のエースで、今年三月に五十三歳で亡くなった元雄(もとお)潤さんをしのぶ会が二十二日、小松市内のホテルで開かれた。高校時代、共に汗を流した野球部OBや当時の監督、親族ら約六十人が県内外から集まり、真っすぐな人柄を懐かしんだ。 (久我玲)
元雄さんは同高三年時、伸びのある直球とスライダーを武器に、県大会決勝で県立工を破り、小松高を初の甲子園出場に導いた。甲子園では、強豪高知商と対戦し、延長の末、3−4で敗れたが、地元を大いに沸かせた。立教大へ進み、東京六大学野球では投手として活躍。外資系会社や金融機関で働きながら、東京六大学野球連盟や甲子園の審判員を務めるなど、今年三月二十七日、がんのため息を引き取るまで、野球一筋の人生だった。
会は元雄さんを笑顔で送ってあげようと、当時の監督石田洋二さん(77)や同校野球部OB会長らが企画。会場には当時のユニホームや県大会優勝を伝える新聞記事、写真が飾られ、功績を振り返るスライドショーが流された。黙とう後、石田さんが「潤!よく頑張ってくれた。ありがとう」と声を張り上げ、硬式球を「献球」し、参列者が後に続いた。
元雄さんと同期で主将だった南寿樹さん(53)は「功績は輝きを失うことはない。元雄潤という仲間を持てたことをうれしく誇りに思う」と涙を浮かべ別れの言葉。一つ上の先輩で一番長く球を受けてきた捕手の田上好裕さん(54)は「球は本当にすごかった。痛かったなあ」と当時を懐かしんでいた。現監督の吉田卓也さん(42)は「いつも野球部の後輩を気に掛けてくれた。今年のチームは期待できる。三度目の甲子園出場で元雄さんに恩返ししたい」と話した。
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