「俺の練習をやっていれば十分」伊藤裕二さん、名将・ベンゲル監督を語る【名古屋グランパス30周年】
2022年5月20日 06時00分
名古屋グランパス始動30周年を記念し、クラブOBに歴史を聞く「グランパス30周年 8人の記憶」の第2回は、クラブ史上初のタイトル獲得となった、1995年度の天皇杯制覇時に主将を務めたGK伊藤裕二さん(57)。昨季、初の全国高校選手権出場を果たした中部大第一高監督が、名将アーセン・ベンゲル(72)との思い出とともに、初戴冠の感激を振り返る。
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ヤンマーもJリーグに参戦すると思って(※1)当時、社員から契約社員になっていたんですけど。年齢も年齢だったので、ぜひJリーグでやりたいということで、準地元に決めました。
開幕戦で0―5。うちと浦和がいつも底。グランパスはトヨタの社員、大卒、高卒、移籍組と、それぞれの考えがあって、同じ方向を向けていなかった。チームを方向づけたのがベンゲルさんでした。シンプルだけど、戦うベクトルを同じ方向に合わせてくれました。
実はベンゲルさんのことはよく知らなかったんです。ベルサイユで合宿やったとき(※2)に、パリサンジェルマン(PSG)の試合を見に行ったところ、チケットが手配できてなかったんですが、ベンゲルさんの一声で全員入れて。ホテルにバロンドールを取ったジョージ・ウエア(※3)が来て、ベンゲルさんに「パパーッ」って。すごい人なんだと分かりました。
日本の指導は世界から遅れていたので、ボールを持ったときにどこから見るかとか、基本から教わりました。それをやると勝てるんですよね。ハーフタイムの声掛けでがらっと変わることも何回も経験しました。要点だけを伝えてくれました。
その前の監督は、練習時間がめちゃくちゃ長かった。ベンゲルさんは、1時間半だけで『俺の練習を100%やっていればそれで十分だ』という自信があった。体幹トレーニングとか、今なら当たり前のことも早くから教えてもらえたので、いろんなチームが視察に来ました。
リーグ戦のころから、われわれ強いなって思ってました。点が取れるのは間違いなかったので。そのままの勢いで天皇杯もいきました。
天皇杯を掲げたときは、小さいんだけど、重みがありました。菊の御紋があって、これが天皇杯かって。中学生の修学旅行で国立競技場を見学して、ここでサッカーできたらなって思ったので、まさか満員の決勝でかなうのかなって思いましたね。
チーム運営、ミーティング、いろんなことが勉強になりました。高校生には、言いすぎると思い出せないので2つ3つに絞っています。言葉掛けでまだまだ変われる年代なので。U―17日本代表で一緒にやったFW柿谷曜一朗やDF吉田豊は気にして見てます。親会社がトヨタということもあるし、グランパスは、常に上位にいなきゃいけないチームだと思います。
※1…現C大阪。日本リーグ強豪だったが、2年遅れでJに加盟した。
※2…1995年5月18日から約2週間実施。
※3…PSGやACミランで活躍したFW。1995年にアフリカ人として初の受賞。2018年に母国リベリアの大統領に就任した。
▼伊藤裕二(いとう・ゆうじ)1965年5月20日生まれ、三重県長島町(現桑名市)出身の57歳。四日市工から84年にヤンマー入り。92~99年グランパスでプレーし、02年に湘南で引退。03~13年、グランパストップチームや下部組織でコーチを務め、14年から中部大第一高監督。
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