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西 健次(1930〜2009年)石川県白山市 松任駅であんころ販売

2022年5月18日 05時05分 (5月18日 09時58分更新)

鉄道客 迎えた売り声

 煙をもうもうと上げた蒸気機関車(SL)が松任駅のホームに滑り込むと、客車の窓から、あんころ餅を求める乗客の腕が伸びる。「あんころ、あんころ〜」。張りのある売り声を響かせながら、首に掛けた立ち売り箱から取り出したあんころ餅を、一人一人に手早く売りさばく。二十代から約四十年近く、和菓子店円八(白山市成町)のあんころ販売員として、駅に立ち続けた。(吉田拓海)
 あんころ餅は、「天狗(てんぐ)から作り方を習った」との伝承を持つ同社の和菓子。なめらかなこしあんに包まれた餅が、爽やかな香りの竹皮に包まれている名物。
 旧国鉄時代、松任駅ホームに立って、駅弁売りのようにあんころ餅を商う姿は、北陸線の風物詩として親しまれた。客車の窓が固定式になり、商品の受け渡しができなくなったため、一九九七年、同社は駅売りを休止した。
 列車が駅に停車している時間は三分ほど。あらかじめ釣り銭を用意するなど工夫を重ねても、大勢の客をさばききれないことも。中には、客が代金を支払う前に、列車が出発してしまうこともあったという。
 家では、あまり仕事の話はしなかったが、妻の伸代(88)=同市成町=は代金を支払いに戻ってきた客の話を聞いたことがある。「まだ、おおらかな時代やった」
 西には、周囲から顔がよく似ていると評される実弟の吉野隆(九九年、六十五歳で死去)がいた。吉野も中学校卒業後、兄を追って円八に入社。共に販売員として松任駅に立った。自身も円八に勤めた吉野の妻治栄(84)=同市北安田町=は「二人とも優しくて、まめな人。人が嫌がる仕事でも、頑張ってしとった」と振り返る。程なく、吉野は店内で和菓子の仕込み作業に徹することになり、駅売りにはもっぱら、西が従事した。
 西の朗らかな売り声は、ラジオで流れた同店のCMに起用され有名になった。一方で、西の娘は、小学校で道具箱を持ったクラスメートから、あんころの売り声をまねされ、からかわれた経験もした。伸代は「家にはケーキとか、洋菓子ばかり買ってくる人で、頼んでも、あんころを買ってきてくれなかった。駅で売る人は低く見られるような風潮もあった時代。今だったら、もっと胸を張れただろうに」と悔やむ。
 駅売りがなくなってからも、東京都や大阪府、北海道など、全国各地の物産展に出向き、来場者にあんころを売った。退職後も、町で買い物をしていると「あんころ売りのおじさん」と声を掛けられることもあった。時が過ぎ去っても、そのひた向きな姿は故郷の甘い思い出とともに、人々の記憶に残り続けている。(敬称略)

【プロフィール】にし・けんじ=1930(昭和5)年、川北町に生まれる。戦時中は、名古屋市周辺の軍需工場で勤労奉仕した。川北中学校を卒業後、地元の電気店に就職。後に円八に入社し、松任駅であんころ餅の販売にあたった。2009年に79歳で死去。

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 次回は、医業の傍ら、戦後石川県内のクラシック音楽普及に尽力した川北篤(一九三〇〜二〇〇八年)を紹介します。

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