「耳順って知っとるか?」 還暦を迎えたノムさんが教えてくれたこと 当時はわからなかった私ですが【竹下陽二コラム】
2022年5月16日 12時01分
◇生涯一野村番がつづる「ノムさんジャーニー」その21
あの日のことは昨日のことように、妙に鮮明に覚えている。1995年初夏、場所は試合前の神宮球場一塁側ベンチ。33の私に、60になったばかりのノムさんが得意げにこう言った。
「お前、耳順(じじゅん)って、知っとるか? 60にして、耳(したが)うっちゅうてな。60になったら、周りの意見や自分と異なる意見にも素直に耳を傾けなさいってこっちゃ。論語にあるんや。孔子の言葉や。むふふふ」
ミーティングを重視するノムさんは、聞くことの大切さを選手に説くために使った言葉かもしれない。その時、好感触だったから、私にも披露してくれたのかもしれない。あるいは、選手に言う前に、私に話して、反応を確かめたのかもしれない。その年、ノムさんはヤクルト監督として2度目の日本一に輝くことになる。監督として脂の乗り切った頃で舌の方も連日、滑らかだった。
当時の私にとって、耳順は初耳であった。三十にして立つ、四十にして惑わずぐらいなら知っていたが、耳順は知らなかった。それだけに、印象的な言葉として、以来、忘れることはなかった。私は、ちょっと大げさに、はあー、耳順ですか、聞く耳の大切さですね、勉強になりましたと言いながら、心の中では、60なんて百億万先の未来だぜ、と思っていたのだが、去る14日についに、私も還暦を迎えてしまった。あっという間だった。月並み過ぎるが、光陰矢のごとし。
60になって思うのは、確かに聞く耳は大切である。先日、高1娘と歴史的(?)な親子げんかを演じた。その翌日に、電撃的に和解したばかりだが、大人の私に聞く余裕があればと猛反省したばかりである。しかし、おこがましいが、この年になって、私なりの境地として、耳順も大切だが、「自従」も大切ではないかと思い至ったのである。
自分に従う。それは、自分の気持ちに素直に従うことである。自分の魂にウソをつかないことである。人さまに迷惑をかけるのは論外だが、空気を読みすぎるのも、なんだかなぁと思う今日この頃なのである。何やら、健康年齢なるものがあって、あと15年しかないと聞かされると、百億万年先の未来とは言えないところまできていることに気づいて、ハッとした次第である。だからこその自従。
改めまして、天国のノムさん、私も60になりました。監督が60になった時、耳順の話をしたのを覚えてますか? 逆らうわけではないですが、耳順も大切ですが、私は自従でいきますよ! 耳順&自従。そんなこと言ったら、ノムさんはなんと答えるだろう。聞いてみたい気がする。
【あわせて読みたい】
◆佐々木朗希、連続パーフェクト目前の降板に元メジャー記者も狼狽
◆ノムさんからもらった、たった一枚の年賀状がない…
◆「新庄は代表的なアホ」は私のノムさんへの最後の質問に対する今生最後の答え
◆佐々木朗希、連続パーフェクト目前の降板に元メジャー記者も狼狽
◆ノムさんからもらった、たった一枚の年賀状がない…
◆「新庄は代表的なアホ」は私のノムさんへの最後の質問に対する今生最後の答え
関連キーワード
おすすめ情報