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琉球切手で伝える米国統治の記憶 半田の間瀬さんが沖縄の小中学校に寄贈

2022年5月14日 16時00分 (5月14日 19時33分更新)
本土復帰直前に発行された最後の琉球切手(上)と、沖縄復帰記念の切手。両方をセットにして子どもたちへ届けた。琉球切手には「5¢」の表記がある

本土復帰直前に発行された最後の琉球切手(上)と、沖縄復帰記念の切手。両方をセットにして子どもたちへ届けた。琉球切手には「5¢」の表記がある

  • 本土復帰直前に発行された最後の琉球切手(上)と、沖縄復帰記念の切手。両方をセットにして子どもたちへ届けた。琉球切手には「5¢」の表記がある
  • 28歳で竹富島を訪れた際、現地の子どもたちを写した一枚。彼らとボール遊びに興じた
  • 間瀬実さん
 米国統治下の沖縄で本土復帰直前に発行された最後の「琉球切手」を、愛知県半田市の間瀬実さん(84)が沖縄の子どもたちに寄贈した。当時、現地を訪ねて購入し、半世紀にわたり保管してきた。寄贈後は現地の学校で歴史の授業に役立てられる。かつて沖縄のペンフレンドらとの交流を通じ、現地の苦悩にも触れた間瀬さん。「戦争に翻弄(ほんろう)された過去を見つめ直すきっかけに」と願う。(高田みのり)

米国統治下で発行 通貨単位は「セント」

 間瀬さんは高校時代に文通の同好会に入り、米国や旧ソ連、中国など世界各地のペンフレンドと交流してきた。ただ「外国語が苦手」で、文通相手は次第と沖縄の人が中心に。当時、米国の統治下にあった沖縄から届く手紙には琉球切手が貼られ、切手の通貨単位は「¢(セント)」。琉球切手に魅了され、収集を始めた。
 沖縄の文通相手は二十人ほどに上り、二十八歳の頃には相手を訪ねて返還前の沖縄各地へ。竹富島(竹富町)では、町立竹富小中学校の子どもたちとボール遊びに興じた。「内地のお兄さん」と慕われ楽しい時を過ごす一方、沖縄の苦悩も知った。
 現地や手紙を通じて古い琉球切手を探すと、「戦争で多くを失った沖縄は貧しく、ペンを持つ余裕もなかった」と手紙に記されていた。「米軍と事故になっても補償してもらえない」とも。「早く内地と正式に交流したい」という声も耳にした。
 本土復帰五十年を控えた今春、かつて手に入れた琉球切手を、現地の子どもへ贈ろうと決めた。復帰直前の琉球切手「切手趣味週間」と、復帰を記念して郵政省(当時)が発行した切手「沖縄復帰記念」をセットにした計四十組。いずれも当時、自作の封筒に貼り、沖縄や名古屋の郵便局で記念の消印をもらった。五十年間保管してきたが、「誰かの役に立てたい」と、贈り先に竹富小中学校を選んだ。
 切手は、授業の教材として役立てられる。同校中学部の社会科教諭、船附(ふなつき)亮太さん(33)=愛知県春日井市出身=は、寄贈を受けて授業内容を変更。本土復帰について学ぶ時間を増やし、一コマを丸ごと充てた。間瀬さんに感謝しつつ、「自分たちの足元に、琉球差別や戦争、占領下の苦労といった歴史があることを知ってもらう機会としたい」と話す。
 間瀬さんは「日本は平和でぜいたくになり、当時のことを忘れてしまったような気がする」と問い掛ける。「昔も今も不利益を被っている沖縄のことを、いま一度考え直す時が来ているのでは」

 琉球切手 米国が樹立した琉球政府の下で利用された沖縄独自の切手。1948(昭和23)年に初めて発行され、普通切手、記念切手など全259種が流通した。本土復帰直前の72年4月20日に最後の「切手趣味週間」が発行された。絵柄は祭祀(さいし)や慶事の席で使われた、ひょうたん形の酒器「ユシビン」。

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