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<望郷の空 沖縄本土復帰50年>(中)少女暴行、抗議のうねり 豊田・地域紙元記者 渡久地政司さん(84)

2022年5月14日 05時05分 (5月14日 09時25分更新)
かつて羽田空港で提示を拒否した身分証明書を手にする渡久地政司さん=愛知県豊田市で(小沢徹撮影)

かつて羽田空港で提示を拒否した身分証明書を手にする渡久地政司さん=愛知県豊田市で(小沢徹撮影)

 「沖縄のためにあれだけの人が名古屋に集まったのは、最初で最後だったのではないか」−。
 沖縄で米兵三人が小学生の少女に乱暴する事件が起きた一九九五(平成七)年。基地問題と米兵に対する抗議はうねりとなって全国に広がった。事件翌年も火は消えず、名古屋市の白川公園で一月に開かれた集会には、主催者発表で約三千人が詰めかけた。
 集会実行委の副委員長だった渡久地(とぐち)政司(84)=愛知県豊田市=は「沖縄問題に関心がありながら、それまで参加できなかった人も集まったように見えた。沖縄の象徴的な事件として名古屋の人たちの心に伝わったのだろう」と話す。
 大阪市生まれの渡久地は、両親が沖縄県国頭村(くにがみそん)の出身。愛知大生だった二十歳の時、本土で亡くなった、いとこの遺骨を埋葬するため、沖縄に初めて足を踏み入れた。本土復帰の十五年前のことだ。
 渡航に必要な「身分証明書」を取り、予防接種も受けた。身内を訪ねるために強いられる煩雑な手続きに強い違和感を覚え、民族や国籍とは何かと考えた。
 大学卒業後、豊田市で発行する加茂タイムス社(現・新三河タイムス社)に就職。二年間勤務した後、豊田市議に転身した。米軍統...

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