<望郷の空 沖縄本土復帰50年>(上)親類との約束 岡崎で「沖縄まつり」 仲宗根広子さん(72)
2022年5月13日 05時05分 (5月13日 05時05分更新)
一九七二(昭和四十七)年五月十五日夜。仲宗根広子(72)は、愛知県岡崎市の自宅で沖縄の本土復帰を伝えるニュースを見終えると、一人で外に出た。当時二十二歳。沖縄がある南西の方角の夜空を見上げ「おじさん、日本に帰れて良かったね」とつぶやいた。うれしくて、涙が止まらなかった。
まだ米国の統治下だった二年前の二月。広子は初めて父正夫の故郷、沖縄・瀬底(せそこ)島を訪ねた。島民たちは渡船から下りる父娘に慈しむような視線を送り、歓迎してくれた。
正夫はトヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)に就職するため十代で愛知県豊田市に移住。結婚して広子が誕生し、数年後に岡崎市へ移って土木運送業を始めた。広子は島民の優しいまなざしを「本土で成功して凱旋(がいせん)する父を迎えたのかと思った」と振り返る。
三泊四日の滞在中、叔父が那覇市の繁華街、国際通りへ車で連れて行ってくれた。広子は「車は日本だと左を走るよ」「沖縄そばは日本じゃ、うどん。そばはグレー色」と得意げに話した。駐車している日本車の上で米兵が跳びはねる姿を見て「早く警察に連絡しないと」と憤った。
岡崎に帰る前日、祖父の家で宴会が催された。酒を酌み交わす...
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