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佃 和雄(1927〜2019年) 石川県輪島市 郷土史研究家・元中学校長 

2022年5月11日 05時05分 (5月11日 11時07分更新)

 門前の歴史 晩年まで

 かつて曹洞宗の本山として栄えた総持寺祖院がある石川県輪島市門前町。歴史薫るこの地で門前町郷土史研究会の立ち上げに関わり、自らも同寺や北前船などを研究し、著書も残したのが門前町道下(とうげ)の元中学校長、佃和雄だ。埋もれがちな郷土の過去にスポットを当て続けた。 (日暮大輔)
 一九八一年の研究会設立時には代表幹事、九一年から二代目の会長に就いた。会誌「久之(くし)の郷(さと)」の発刊に尽力し、九五年に創刊号を出した。当時の会員数は七十人ほどで、現在も四十五人いる。三代目会長を二一年まで務めた大倉克男(79)は「もともと歴史に関心のある人はいたが、地方でこれだけ大きな組織になったのは珍しいと思う」と語る。
 佃は四八年に石川師範学校(金沢市)を卒業。門前町黒島地区の旧黒島中に赴任し社会科を教えた。同地区は北前船の船主や船員の居住地として江戸後期から明治中期に全盛を極めた歴史的な要地。佃が教員として計二十一年以上を過ごした場所でもあり、人生最後の研究テーマには北前船と黒島を選ぶほど、強い思い入れがあった。
 長男の和明(61)=同県小松市=は「歴史を調べ本を書いていた印象があるが、研究のことを家族に話すことは、あまりなかった」と振り返る。だが、門前への郷土愛がとても強かったのは行動で分かった。「地域の盆踊りを世話したり、民話を収集しては子どもらに語り聞かせたりしていた」と懐かしむ。
 大倉によると、佃の研究は地域の家々に残る古文書などを解読し、明らかになったことに考察を加えていくものだった。道下の佃宅には、研究内容を記した原稿用紙が多く残っている。
 晩年は腎臓病を患い、金沢の老人施設に移ったが、九十歳近くになっても執筆を続けた。二〇一七年に北前船の船主だった各家の詳細や黒島の文化、民俗などをまとめた最後の著書を残し、一九年、九十二歳で逝去した。
 大倉は佃の功績について、「歴史に関心を持つ人が研究に参加できるようにしたこと」と強調する。郷土史研究会の会誌は今年三月に十一号を刊行し、市門前総合支所二階で古文書や写真などの展示を企画するなど精力的に活動している。歴史研究を地域に根付かせ、後世に伝えたいとの佃の思いは、研究会メンバーに引き継がれている。
(敬称略)
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 次回は、JR松任駅ホームで、名物「あんころ餅」の駅売りに携わった西健次(一九三〇〜二〇〇九年)を紹介します。

 つくだ・かずお 石川県輪島市門前町道下で生まれる。社会科教諭として旧門前町や輪島市の小中学校に勤務し校長も務めた。旧黒島中勤務時は野球部の監督として、県大会で準優勝2回、3位1回と好成績を残すなど、スポーツを愛する一面もあった。


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