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【写真番号2022051001】
金沢医科大(1972年)

2022年5月10日 05時05分 (5月10日 10時09分更新)
【写真番号2022051001】内灘町の砂丘地に設立された金沢医科大=1972年5月

【写真番号2022051001】内灘町の砂丘地に設立された金沢医科大=1972年5月

砂丘地開発の核に

 日本海を望む砂丘地に金沢医科大が開学したのは一九七二年の夏。米軍試射場を巡る内灘闘争の終結から十五年。内灘町は町制施行十年を迎え、成長を続けていた。
 「ここに来たのは医科大ができた次の年やった」。大学前で長年、「龍食堂」を営む神木(じんき)純雄さん(79)が懐かしそうに語る。「店の後ろはまだ整地されたまま。家なんてなんもなかった」と妻真理子さん(74)が言うと、神木さんは「窓を開けたら砂が入ってきた」と苦笑いして、二人で顔を見合わせた。
 大学二丁目町会の紙丸寛(ひろし)会長(71)の話では、現在は住宅街に変わった大学地区も当時は畑が広がっていた。紙丸さんは北海道出身。子どものころ、家族で母親の地元の同町大根布(おおねぶ)に移り住んだ。「えらい大きな病院が来るんやなと思った」と振り返る。
 内灘町史によると、アカシア団地の完成(六三年)を皮切りに、鶴ケ丘、旭ケ丘など団地が次々にでき、金沢市と隣り合う町は人口が増えた。中心部を貫く医科大通りの建設は開発の弾みとなり、医科大と病院の建物は町のシンボル的存在に。
 医科大のホームページによると現在、学生数は大学院を含めて約千人、教職員数は教育・医療・事務を合わせて約二千五百人に上る。「人間性豊かな良医の育成」を掲げる大学は六月一日、創立五十周年の節目を迎える。(島崎勝弘)
  • 空から-あの頃ふるさとは

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