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もし病がなくオシムさんが2010年W杯まで指揮していたら…『考えて走る』“オシム哲学”を振り返る

2022年5月2日 17時11分

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イビチャ・オシムさん=2007年撮影

イビチャ・オシムさん=2007年撮影

◆コラム「大塚浩雄のC級蹴球講座」
 「ライオンに襲われた野ウサギが逃げ出す時に肉離れしますか? 準備が足りないのです」「限界には限界がありません。限界を超えれば、次の限界が生まれるのです」など、ウイットに富んだ哲学的な名言で日本サッカー界に「考えて走る」サッカーを浸透させた名将イビチャ・オシムさんが亡くなられた。
 オシム語録はユーモアにあふれ、そして物事の核心をついていたが、言葉だけでなくそのトレーニングも独創的で工夫とアイデアが満載されていた。練習を見ているだけで、十分に楽しむことができた。
 オシムさんのトレーニングと言えば、何色ものビブス(色分けした練習着)を使った戦術練習が印象深かった。例えば8人対8人プラスGKのミニゲームを3―3―2のフォーメーションで行う。このときAチームのFW2人は赤、MF3人はオレンジ、DFピンクと色分けする。Bチームは同様に青、水色、緑。つまりどのポジションの選手がどう動くのか、その動きに対してどう対応するのかが視覚的に非常にわかりやすくなる。
 2トップに対して3バックの誰が誰をマークし、誰がどこをカバーするのか。逆にFWは3バックの位置を把握し、どう崩していくのかを見ながら、考えながら動かなければならない。色分けという工夫で、情報収集能力が高まり、戦術の理解が深まっていくのだ。
 この練習だとフィールド6色、GKを含めると8色になるが、さらに左右、真ん中と複雑な色分けをする練習では10色以上使うことがあり、青と白、赤と黒の縦じまビブスを探すなど、準備が大変だったという。
 ジェフ市原の監督時代は、走力アップのために105×68メートルのフルコートを使って2人対2人プラスGKという超ハードなトレーニングを行っていたという。これだけの広さを2人で攻め、守らなければならない。すさまじい運動量とともに2人のコンビネーションも必要で、まさに「考えて走る」練習だった。
 2006年7月、日本代表監督に就任し、07年11月に脳梗塞で倒れ、退任したが、短期間でオシムさんは多くのものを残した。代表合宿では、同じ練習を2度、見たことがない。たえずテーマに沿った新しいメニューが用意されており、いったいこの人はいくつの引き出しをもっていて、その中にどんだけ多くのメニューをしまい込んでいるのだろうと思ったほど。練習内容を紹介するだけで、十分に読み応えのある特集ページを作ることができた。
 オシムさんはPK戦を見ないことでも知られていた。07年のアジアカップ、オーストラリア戦がPK戦に突入すると、オシムさんはベンチを離れ、ロッカールームに引っ込んで、そこでスタッフから勝ったことを知らされた。
 90年W杯イタリア大会で旧ユーゴスラビア代表を指揮し、準々決勝でアルゼンチン代表にPK戦で敗れたときもそうだった。「PKはくじ引きみたいなもの」と話し、オーストラリア戦後は「(通訳から)勝利を聞かされた時、飛び上がってもう少しで天井に頭をぶつけるところだった。PKは嫌いだ。心臓に悪いから」とコメントした。「考えて走る」というオシムさんのサッカー哲学に、PK戦はそぐわない。
 1年4カ月で劇的に成長していったオシムジャパン。オシムさんが病に倒れることなく、2010年W杯南アフリカ大会まで指揮を執り続けていたら、日本代表はどんなサッカーを見せてくれたのだろう。ご冥福をお祈りします。
 ◆大塚浩雄 東京中日スポーツ編集委員。ドーハの悲劇、94年W杯米国大会、98年W杯フランス大会を現地取材。その後はデスクワークをこなしながら日本代表を追い続け、ついには原稿のネタ作りのため?指導者C級ライセンス取得。40数年前、高校サッカー選手権ベスト16(1回戦突破)。
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