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中能登の古墳 帆立貝形なワケ 石川考古学研の唐川さん「時代の差」指摘

2022年4月21日 05時05分 (4月21日 10時00分更新)
水白鍋山古墳が造られた時代背景などを解説する唐川明史さん=中能登町井田のラピア鹿島で

水白鍋山古墳が造られた時代背景などを解説する唐川明史さん=中能登町井田のラピア鹿島で

 全国的にも屈指の数の古墳がある中能登町の住民らでつくる「中能登町古墳の会」の総会が十九日、中能登町井田のラピア鹿島であった。記念講演で石川考古学研究会の唐川明史(あきふみ)さん(75)=七尾市中島町鳥越=が、県指定史跡登録を目指し調査が進む同町水白(みじろ)の水白鍋山古墳(町指定文化財)が造られた時代背景などを解説した。
 唐川さんは、全国に古墳は十五万基以上あり、中能登町と周辺に約1%にあたる千五百基ほどあると説明。多くは円墳や方墳で、水白鍋山のような帆立貝(ほたてがい)形古墳は約五百基と紹介した。
 古墳が造られたのは西暦二五〇〜六〇〇年ごろの三百五十年ほどで、三〇〇年代半ばに造られた同町の雨の宮1号墳(前方後方墳)と四〇〇年代半ばという水白鍋山古墳との間に約百年の時間差があると指摘。雨の宮の時代は比較的自由に前方後方墳などを造れたが、水白鍋山の時代は力を強めた中央政権の方針が絶対で、鍵穴形の前方後円墳などが許されず帆立貝形になった可能性があるとした。
 水白と周辺に古墳が集中する理由を「為政者は目立つものを造る。当時多くの人たちが通る目につきやすい場所に歴代古墳を並べたのでは」と伝えた。
 総会では松本哲代表らを再任。水白鍋山古墳の調査状況を見ながら現地調査も行う方針を決めた。 (室木泰彦)

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