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澤田 昭英(1936〜2017年)富山県魚津市 洋画家で教員

2022年4月20日 05時05分 (6月14日 16時52分更新)

人間愛 教え子に脈々

 富山県内の中学校や高校で美術教員として教壇に立ちながら、洋画家として社会の在り方や人間をテーマに数々の作品を残した。多くの生徒から慕われ、創作に情熱を注いだ生涯は、教え子たちの記憶に残り続けている。(山岸弓華)
 「とっても気さく。生徒に真剣に向き合う先生だった」。教え子の一人で陶芸家の福沢聡美(61)=泊高校卒、同県入善町=はこう振り返る。授業では技術論だけではなく、生徒の想像力や思考力を引き出す事を重視した。「毎年同じ内容ではつまらない」と受け持つクラスに応じて授業内容を変えていた。正月には自宅に教え子たちを招き、絵や将来の話に花を咲かせた。
 幼少期から絵を描くことが好きだった澤田。教員として忙しい日々を送りながらも、勤務後は制作にいそしんだ。日ごろ目にしたニュースや詩、俳句などから着想。代表作「蜘蛛(くも)の糸」は、人間のもろさやひ弱さをテーマに描写。教員として生徒に向き合う姿勢と、画家として人を見つめる作風は、澤田の持つ人間愛に通底するものがあった。
 毎日、飽きることなく筆を執り続ける。「描くことが嫌にならない?」。妻の玲子(85)がある時、こう投げ掛けた。「どうして嫌になることがあるがか」。創作は澤田にとって欠かすことのできないライフワークだった。高齢になっても、意欲は尽きることはなかった。
 別れは突然だった。二〇一七年夏、自宅三階のアトリエで制作後、階段を下りる途中で倒れた。心筋梗塞だった。玲子は「最期の最期まで、『描きたい』という思いがあったのではないか」と話す。
 没後五年となる今年、朝日町ふるさと美術館では二月から三月にかけ「絵画を愛し 生徒に愛され」と題した澤田の遺作展が開かれた。「また先生に会いたい」と、かつての教え子が中心となり、展示会の開催をもちかけた。場内には、澤田への思いを記すメッセージポストを設置。「懐かしくて涙が止まらない」と、恩師との「再会」を喜ぶメッセージが四十通近く寄せられた。
 美術の道を選んだ福沢は、澤田の「忙しい時ほど頑張れる」との言葉を励みにしている。教育と創作、どちらも妥協することなく情熱をささげた澤田の姿を今も追う。「先生は人生の目標。先生と出会えたことが宝物」。澤田の精神は、教え子たちに確実に引き継がれている。 (敬称略)
 ◇     ◇    ◇ 
 次回は石川県輪島市の門前町郷土史研究会長を務め、地域の歴史や民話を研究した佃和雄(一九二七〜二〇一九年)を紹介します。

【プロフィール】さわだ・あきひで 1936(昭和11)年、富山県魚津市生まれ。金沢市立美術工芸大卒。泊高校、魚津高校、入善高校などで美術教員を務めながら、油絵を中心に作品を作り続け、自由美術展や県美術展などに出展。県洋画連盟顧問、県美術連合参与などを歴任した。2008年県功労賞。80歳で死去。


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