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“竜の生き字引”逝く…足木敏郎さんが持っていた水原茂監督直筆の色紙『梅耐寒苦発清香』の書に今のチームを見た

2022年4月20日 10時12分

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左から、足木敏郎さん、星野仙一元監督、岡田編成部長、アイク生原さん=ロサンゼルス空港で

左から、足木敏郎さん、星野仙一元監督、岡田編成部長、アイク生原さん=ロサンゼルス空港で

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って ◇19日 中日4ー12ヤクルト(バンテリンドームナゴヤ)

 中日の渉外担当(部長)などを歴任した足木敏郎(あしき・としろう)さんが19日午後1時6分、名古屋市内で老衰のため死去した。87歳。愛知県豊橋市出身。葬儀・告別式は家族葬で営まれる。
 愛知・豊川高から1953年に当時の名古屋軍(中日)へ入団。現役は2年で引退したが、トレーナー、マネジャー、広報や外国人選手を獲得する渉外担当を歴任し、ケン・モッカやアロンゾ・パウエルらを獲得。2013年の退団まで異例の61年間も続けて在籍し、54年から11年まで全9度のリーグ優勝を一人だけ選手、球団職員として経験した。09年には中日新聞社から「ドラゴンズ裏方人生57年」を出版した。
    ◇    ◇
 亡くなった足木敏郎さんは、誰もが知る記憶力の人だった。だから「竜の生き字引」。この手の人は月日の経過とともに、つい話を盛りがちだが、足木さんはそうではなかった。自分が見聞きしたことを、正確に人に伝える能力に秀でていた。
 それ以上に観察力の人だった。広報、マネジャー、通訳、渉外担当…。あらゆる役職で、足木さんは選手や交渉の相手を見ていた。誰が何を話し、どう振る舞ったかを覚えるだけではなく、なぜそうしたかを考えていたのだ。
 6年前の春。生き字引の知恵を拝借した。1969年。前年最下位のドラゴンズが三顧の礼で迎えた水原茂監督のことだった。歴代4位の通算1586勝を挙げる名将を、マネジャーとして支えよ―。それが足木さんに課せられた使命だった。付き合う人、食べる物、着る服、全てが超一流。シルエットを美しく見せるために、ユニホームの下には鹿革のパンツを履き、球場を出ればコートは特注のビキューナ製。全てを観察し、記憶した。どの料亭でどこの財界人と会食していたかも、足木メモには残っていた。
 「水原さんはね、サインをするのもマジックは使いませんでした。ご自分で墨をすり、毛筆で書いていたんです」
 好んで色紙にしたためていた言葉があったと教えてくれた。いや、足木さんは直筆の色紙を持っていた。そこには達筆でこう書かれていた。
【写真】中日元監督・水原茂さん直筆の色紙
 『梅耐寒苦発清香』。梅は厳しい冬の寒さに耐えてこそ、花を咲かせ、あの香りを出す。4、5、2位。水原監督が率い、足木さんが裏から支えた3年間で優勝には届かなかったが、3年後に実を結んだ。星野仙一、島谷金二…。74年、巨人のV10を阻んだ優勝の原動力は、水原時代に鍛えられた若手だった。
 エース・大野雄が連続四球から痛打された。鵜飼の悪送球が失点に直結した。本拠地であるまじき大敗。しかし、まだ梅は寒苦に耐える時期なのだ。足木さんから聞いた話を思い出しながら、いつか清香を発する日を想像した。

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