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天野 耕兵衛(1921〜2011年)金沢市 金沢中央走ろう会創設者

2022年4月13日 05時00分 (4月13日 13時36分更新)

ランニング 普及尽力

 日曜日の朝六時。会員たちは二十分のストレッチを終え、ランニングを始める。金沢中央走ろう会が約四十五年前から続ける例会の光景だ。会は体育教諭だった天野耕兵衛が、市民の健康を願って創設。自らもフルマラソンに出場するなど、市民ランナーの草分けとして生涯ランニングの普及に尽力した。(西川優)
 走ろう会は一九七五(昭和五十)年四月、金沢市の県中央公園(現在のいしかわ四高記念公園)で二十人で始まった。五十代になり運動不足を感じていた天野が体育教諭から石川県教委に異動になったのを機に、「健康づくりを進める立場にあるものは率先して範を示すべきだ」と設立した。
 定期的に健康分野の専門家を招くなど勉強会を開くほか、独自にマラソンやトライアスロンの大会を創設。常に新しい試みを取り入れてきた。一九七九年に始めた「マラソンに挑戦する会」は石川県で最も古いマラソン大会として知られ、毎年全国からは市民ランナー約五百〜八百人が集まる。
 設立当初から天野を支えた北野義雄(85)は「細かいことは言わないが責任は取る。リーダーとして最適な人だった」と振り返る。挑戦する会も、会員が天野に企画を提案すると、「『よし、やれやれ』という感じで背中を押す人だった」。
 一方で、厳しい側面も。朝のストレッチ体操でしゃべり続ける会員には「みんな真剣にやれ」としかることがあり、現代表の野村泰裕(65)は「昔かたぎの人で、規律には厳しかった」と話す。だが、天野の言葉に会員皆が納得し、会員は次第に増え、百人を超えるまでになった。
 幼少期は、虚弱児と診断されるほど体が弱かったという。走ろう会の創設当初は十分も走れずがくぜんとしたが、十年間毎日走り続けて退職記念にホノルルマラソンに出場。その後、二十年余りにわたって毎年出場し、最高タイムは四時間を切った。
 天野の口癖は「百歳まで生きよう」。九十歳で逝ったが、「百歳まで生きるくらいの健康さをつくりましょうと言いたかったんじゃないかな」と野村は思いを巡らせる。朝の例会では会員にその言葉を紹介することもある。市民の健康を願い、走り続けた天野の遺志は着実に未来へと受け継がれていく。(敬称略)
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 次回は、教員を務めながら、多数の作品を残した富山県魚津市の洋画家、澤田昭英(一九三六〜二〇一七年)を紹介します。

【プロフィール】てんの・こうへい 1921年石川県輪島市生まれ。戦時中は豊橋予備士官学校の教官となり、終戦後は金沢市の小中学校教諭、同県教委で勤務。75年金沢中央走ろう会を創設。96年いしかわ中日体育賞、2006年9月日本スポーツグランプリなど受賞歴多数。

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