芳川 まっすぐ清流、染色工場が集中

2020年5月13日 02時00分 (7月20日 14時34分更新)
芳川ののり面に立つ起点の標識=浜松市東区上新屋町で

芳川ののり面に立つ起点の標識=浜松市東区上新屋町で

  • 芳川ののり面に立つ起点の標識=浜松市東区上新屋町で

◆戦時下 人海戦術で川底掘り

 芳川の起点は、中田町・上新屋町(いずれも浜松市東区)にあります。川の始まりなのに、細くなく池や沼もありません。芳川は、全長10キロ近くある川で、起点から馬込川に合流するまでほぼ同じ幅で、まっすぐ南に流れています。不思議だと思いませんか。
 昔の芳川は、和田地区(浜松市東区)を水源にしたアシの生い茂る自然にあふれた川で、何度も蛇行しながら流れていました。
 そんな芳川が今のように流れるようになったのは、1943(昭和18)年のことです。今の起点の辺りは、水はけの悪い湿地が多かったため、大規模な排水路を整備することになり、今の芳川を造ったのです。当時は大型の機械はなく、人海戦術で川底を深く掘り下げました。掘り進んで広くなった川底に線路を敷き、手押しのトロッコで土を運んだそうです。掘った土を使って湿地の整地作業を行ったり、道路の新設に使ったりしました。整地された土地は、農地や工業用地に利用されました。当時は戦時下で、工場用地に中島飛行機浜松工場が造られ、飛行機のエンジンが生産されました。
 新しくできた川は湧き水も豊富で、きれいな水が流れていました。フナやコイ、ドジョウ、ナマズ、ウナギなどたくさんの魚もすみつきました。当時の芳川は、人々が魚を捕ったり、泳いだりすることのできる憩いの場だったそうです。
 今から60年ほど前、昭和30年代になると、芳川沿いに染色工場が10社以上もできました。きれいな水をたくさん使う染色工場にとって、芳川沿いは地下水も豊富で、手軽に排水できるのは大変魅力的でした。こうした工場は、遠州織物の生産を担う一方、昭和40年代には、家庭からの排水とともに水質汚染が問題になりました。
 きれいな芳川を取り戻そうとする取り組みは、地域ぐるみで継続して行われています。芳川沿いを通ると、豊かな緑やきれいな花を目にします。桜並木やカンナの花などは、地域の人々の尽力のおかげです。
<もっと知りたい人へ>
参考文献:「東区の文化誌 東方見聞録」東区役所まちづくり推進課東方見聞録編集委員会

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