Jリーグ(5) ホンダFC

2019年2月11日 02時00分 (5月27日 05時30分更新)

◆圧倒の雑草軍団

昨年のJFL第2ステージ最終節に勝ち、年間優勝と3連覇を祝うホンダFC=浜松市北区の本田都田サッカー場で(同チーム提供)

 Jリーグで戦うことはかなわなかったが、平成の静岡のサッカーを振り返る上で、忘れてはならないチームがある。日本サッカーリーグ(JSL)から存在感を示してきたホンダFC(浜松市)だ。
 現在はJ3の下部に当たる日本フットボールリーグ(JFL)に所属し、二〇一六~一八年のシーズンで史上初の三連覇を達成した。天皇杯などで、ホンダと対戦するJリーグチームの監督は「J2の中位ぐらいの力はある」と実力を認めている。
 本田技研工業サッカー部として一九七一年創部。県西部リーグ一部を振り出しに東海リーグ、JSL二部を経て八一年に同一部に昇格した。両サイドを鋭くえぐるオープン攻撃を特徴に、スピードあふれるサッカーで、県西部を中心に熱心なファンに支えられた。
 JSL時代はMF北沢豪選手(50)=現解説者、DF勝矢寿延選手(57)=現セレッソ大阪スクールコーチ、FW関塚隆選手(58)=現日本サッカー協会技術委員長=など、日本代表らを次々と輩出した。しかし、Jリーグが始まる前に北沢選手は読売クラブ(現東京ヴェルディ)へ移籍。FW黒崎久志選手(50)=現鹿島アントラーズコーチ、MF本田泰人選手(49)=現解説者、FW長谷川祥之(よしゆき)選手(50)らは鹿島に移籍するなど、ホンダ出身の選手たちがJリーグの創設期を盛り上げた。
 そんな名門チームが清水エスパルス、ジュビロ磐田に続く県内三番目のJリーグ入りを目指した時期があった。九五(平成七)年一月、市民グループが十六万四千人の署名と要望書を、浜松市と本田技研本社(東京)に届けた。九七年二月に地元経済界らが「浜松J連絡会」を発足させ、同年六月、Jリーグ準会員になった。
 あと一歩だったが、九七年九月、資金難から新会社設立のめどが立たなくなり、夢はかなわなかった。当時、ホンダの副部長だった関強史さん(68)は「懸命に模索して努力したが、何かが足りなかった」と悔しさをにじませる。
 プロ選手の多くがチームを退団。九九年からアマチュアチームとしてスタートをきった。遠州人のチャレンジ精神、「やらまいか精神」は根付いていた。
 「JFL優勝」「天皇杯でJリーグ勢を倒す」と二つの目標を掲げた。二〇〇七年度の天皇杯では名古屋グランパスなど、Jリーグ勢を次々に破って準々決勝進出を果たした。雑草軍団が総力戦で立ち向かった。
 元ホンダ監督の大沢隆さん(66)は「ホンダでは二流選手を鍛えに鍛えて、ものにするという気概が息づいている」と語る。
 例えば、現在FC東京でコーチを務める安間貴義さん(49)は浜松商高から駒沢大を経て九二年にホンダに入団。猛練習でチームの中心選手となった。大沢さんは「彼を一人前にしようとしたチーム全体の意気込みがあった」と言う。
 安間さんは引退後はホンダの監督を経て、ヴァンフォーレ甲府などで経験を積み、FC東京で若手育成に手腕を振るっている。
 JFL三連覇に導いた井幡博康監督(44)は常々「ただ勝つのではなく、魅力あるサッカーで相手を圧倒しろ」と選手を鼓舞する。今季もアマチュア最強チームとして、プロチームににらみをきかせるつもりだ。
(川住貴)=おわり
 <日本フットボールリーグ(JFL)> 1998年まではジャパンフットボールリーグと称して、Jリーグの下部リーグと位置付けられていた。99年、Jリーグが2部制になったのに伴い、新体制に。J3まである現在はアマチュアチームの国内最高峰リーグに位置付けられ、ホンダなど16チームが所属。運営面やホームスタジアムなど、Jリーグチームの条件を満たしていれば、リーグ上位がJ3に昇格できる。
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