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制度として無い『逆指名作戦』…中日は今中慎二の“一本釣り”にこうして成功した 2位で大豊獲得の会心ドラフト

2022年3月23日 10時22分

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中日入りが決まり父親の正夫さんと喜ぶ今中慎二(右)=1988年12月13日、大阪・守口市内のホテルで

中日入りが決まり父親の正夫さんと喜ぶ今中慎二(右)=1988年12月13日、大阪・守口市内のホテルで

◆中田宗男スカウトの虚々実々
 ドラフト会議には夢と希望が満ちているが、裏に回れば虚と実が入り乱れる。そんな世界を生きてきた元中日の中田宗男さん(65)が、38年間のスカウト人生を振り返る。今回は1988年のドラフトで、今中慎二(大阪桐蔭高)の一本釣りに成功した舞台裏を明かした。
 昭和最後のドラフトで1位指名したのが今中でした。強烈に覚えている2試合があります。まずは1年秋の大阪府大会。立浪和義、片岡篤史らを擁し、翌年に春夏連覇を達成するPL学園を相手に、敗れはしましたが0―1。線は細いが「体ができあがってくれば…」と思わせてくれる投球でした。
 実はこの時点では「産大の今中」でした。入学時の校名は「大阪産大高大東校舎」。大阪桐蔭に変わったのは、今中が3年生になる時でした。1位指名の方針を決めたのもその年の春。郡山(奈良)との練習試合です。とにかく素晴らしかったのが制球力。かぶさって構えてくる右打者の内角に、ビシビシ決める。球速は、当時の高校生にはめったにいなかった140キロ台。ところが、後に今中の代名詞になるカーブは、まだまともに投げられませんでした。
 この郡山戦は田村スカウト部長にも視察してもらいました。「この投手が左ではナンバーワンだと思います」という私の言葉に、田村さんは「1位で考えておけ」と即応。ドラフトまでに乗り越えるべき壁が2つありました。
 まずは「一本釣り」。ライバルは阪神と日本ハムでした。入学時の監督と同じ法大OBで阪神スカウトの田丸仁さんが食い込んでおり、私に「今中を追っかけてるらしいな」と言ってきました。「オレは知ってるぞ」というけん制です。私も「追っかけてはいますけど、まだ良いか悪いもわかりません」ととぼけました。
 それ以上に難敵だったのが日本ハム。私が使ったのは逆指名作戦でした。もちろん制度としてはありませんが、当時はあの手この手で「僕は○○にしか行きません」と言わせるのが常とう手段。退部届を出している選手には、学校の許可を得て自宅を訪問できたので、私は今中にこう言いました。
 「星野監督がきみに一目ぼれした」。本当はそんなこと言ってませんが、当時はこの作戦が本当によく効いた。信じたかどうかはわかりませんが、今中も意気に感じて「中日に行きたい」と言ってくれました。次はスポーツ紙を使って「今中、中日を逆指名」という記事を掲載します。今なら高野連から大目玉を食らいますが、学校側も条件付きで認めてくれました。それは「大阪桐蔭」と見出しをつけること。今では信じられませんが、当時は「大阪桐蔭」の名は地元でも知られていなかったんです。
 日本ハムが今中から降りたという情報が入ったのはドラフト前日。ただし、その過程ではもうひとつの壁を乗り越えていたのです。それは「大豊泰昭を2位で取る」というミッションです。名商大から中日球団職員となっていた大豊の中日入りは他球団も黙認していましたが、それは「1位なら」という話。2位なら横やりが入っても文句は言えません。実際、強奪をほのめかしてきた球団はありました。
 今中の一本釣りを「何とかせい!」と言った星野監督は、大豊については「何とかなるやろ」。当時の私は関西地区担当にすぎず、どんな工作が行われたのかは知りませんが、実際に大豊も単独指名に成功(当時は2位以下も一斉入札)。のちに沢村賞と2冠に輝く投打の柱を、同時に獲得できた会心のドラフトでした。(中日ドラゴンズ・元スカウト)

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