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KKドラフトの裏側…「巨人はどちらか1人なら桑田にせざるを得なかった」なぜ“1位清原・2位桑田”は崩れたのか【中田宗男のスカウト虚々実々】

2022年2月22日 10時21分

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PL学園コンビ時代の桑田真澄投手(左)と清原和博内野手。ドラフトは2人の明暗を分けた=1985年

PL学園コンビ時代の桑田真澄投手(左)と清原和博内野手。ドラフトは2人の明暗を分けた=1985年

◇中田宗男の「スカウト虚々実々」
 若き才能の未来を推し量り、一堂に会して選択する。それがドラフト会議だ。そこには夢と希望が満ちているが、裏に回れば虚と実が入り乱れる。そんな世界を生きてきた元中日の中田宗男さん(65)が、38年のスカウト人生を振り返る。第1回は1985年の「KKドラフト」。清原和博と桑田真澄を巡る、虚々実々とは―。
 ◇  ◇  ◇
 今でも忘れられない顔とはあのことです。当日、私は会場だった東京のホテルグランドパレスの球団控室にいて、テレビ画面を見ていました。まずは各球団の入場。アップになった巨人の関西地区担当・伊藤菊雄スカウトは、顔面がピクピクとひきつっているのがわかりました。対照的に王貞治監督は終始笑顔。瞬間的に「あ、巨人は桑田でいくな」と思ったことを覚えています。
 スカウト間で「巨人・桑田」のうわさは、ずっとくすぶっていたんです。西武の根本陸夫管理部長さんと中日の田村和夫スカウト部長は、比較的良好な関係でした。球場などで顔を合わせると「おい、桑田は怪しいぞ」などと情報交換していました。桑田は早大進学を表明していましたが、当時はプロ志望届もなく、各球団は半信半疑。うのみにしていた球団はないはずです。
 私も上司である田村さんに「桑田も調べておけ」と指示は受けましたが、中日は清原一本。正直、引き当てた時に拒否せず入団してくれるかの調査が最優先で、桑田の真意を探る余裕はありませんでした。
 清原は南海、日本ハム、中日、近鉄、西武、阪神が1位指名。巨人は桑田を単独指名しました。私は驚きよりも「やはり」でしたが、清原は巨人に指名もされなかったことにショックの涙を流し、世間は大騒ぎになりました。巨人は清原を裏切ったのか…。ここから先は、あくまでも当時を知るスカウトマンの主観として読んでください。
 巨人は桑田に指名の意向は伝えていた。いわゆる密約説です。ただし、理想は「1位・清原、2位・桑田」。ところが、そうはいかなくなった。スカウトには裏の情報網もあります。そこに、西武も桑田強行指名との情報が流れてきました。本気ならそんな雰囲気は醸し出さないという考えもあるでしょうが、相手は何と言っても「球界の寝業師」と呼ばれた根本さん。KK両取りを画策していたはずの巨人ですが、どちらか一人なら桑田にせざるを得なかった。それは指名を約束していたから…。西武に1位でさらわれるわけにはいかなかったのです。
 王さんのスッキリとした笑顔には、もう決めたという思い。伊藤さんの緊張した表情には、指名を信じていた清原への申し訳なさがあったのかもしれません。
 話を清原に戻しましょう。上司に命じられた調査の結果、私は引き当てれば必ず中日に来てくれると確信していました。当時の監督は「シュート打ちの名人」と呼ばれた山内一弘さん。清原に影響力をもつ大阪・PL学園高の関係者が「プロで活躍するには内角球を打たなければならない。右打者にそのコツを教えることでは、今の野球界で山内さんの右に出る者はいない」と助言してくださったと聞いたからです。後年まで清原が苦しんだ内角攻め。山内さんに教わっていたら、どうなっていたんでしょう…。(中日ドラゴンズ・元スカウト)

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