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菊川・焼き雛「坊之谷土人形」、梅まつりで公開 4代目高木さん

2022年2月5日 05時00分 (2月5日 05時03分更新)
坊之谷土人形製作者の高木宏さんと粘土製の型=菊川市で

坊之谷土人形製作者の高木宏さんと粘土製の型=菊川市で

 明治から昭和初期にかけ、菊川市小笠地区で盛んに作られた土製の節句人形「焼き雛(びな)」。創始者の曽孫で四代目となる製作者、高木宏さん(76)=菊川市高橋=が伝統を一人で守る。素朴で安価な人形は当時、県内各地に広がったが、衣装雛が人気になると衰退し、一時は途絶えていた。市内の黒田代官屋敷で六日から一カ月間開かれる梅まつりでは、この人形が数十点公開される。 (河野貴子)
 焼き雛は作られた地域の小字から「坊之谷(ぼうのや)土人形」と呼ばれる。貧しい農村の農閑期の収入源として、高木さんの曽祖父で篤農家だった弥左衛門さんが地元住職の助けを借り、一八八五(明治十八)年に創始したとされる。焼き物の本場、愛知県三河地方から型と製法を取り入れて試作を重ね、近隣の農家と大量生産して売り歩いた。
 内裏雛や天神、えびす、だるま、招き猫など、種類も大きさもさまざまな縁起物だが、人々の暮らしが豊かになると、現在の高価な衣装雛に需要が移った。
 高木さんは両親の人形作りを見て技術を覚えた。JA遠州夢咲を五十七歳で退職すると、農作業の傍ら、人形作りに励むようになった。「人間の顔を描くのが一番難しい。笑っているように見え、ちょっと流し目のイメージ。ほれぼれするような物ができると、うれしくてね」と目を細める。
 体の正面と背中側の二つに分かれた型の内側に粘土を押し付けて成型。二つを接着した後、乾かして窯で焼き上げる。ポスターカラーで鮮やかに色付けし、ニスを塗って完成するまでに一カ月ほどかかる。
 先代の父亀次郎さんの時代、製作は四十年ほど途絶えていた。人形の存在を発掘した愛好団体に繰り返し頼まれた亀次郎さんが復活させたのは五十年前だ。
 収集家らに一定のファンはいるが、それほど数が売れるものではない。このところは年に一回、二十キロ分の粘土を使って一回焼く。「無理してやって在庫が残ってもつらい。生業にはならんが、先祖が苦労してやってきたものをつぶすのもつらい」
 人形作りは指先や頭を使い、熱中できる作業。今は、伝統を伝える相手はいない。三十代の長男がいるが、継承するかどうか、将来のことは本人次第だと考えている。梅まつりでは毎年、代官屋敷内に坊之谷土人形が飾られる。「昔はこういう人形があったということを知ってもらえれば。展示していただけるのはありがたいことです」

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