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変わる高校国語㊦識者に聞く 言葉の運用能力 育もう

2022年2月3日 10時35分 (2月3日 15時49分更新)
 新学習指導要領で大きく変わる高校の国語の授業。今、生徒のどんな力を育めばよいのかを、紅野謙介・日本大文理学部特任教授(65)=日本近現代文学=と、村上治美・東海大語学教育センター教授(64)=日本語教育=の2人に聞いた。(聞き手・白井春菜、山本克也)

基本の「読む」重視  日本大文理学部特任教授 紅野謙介さん

 「現代の国語」は論理的な文章と実用的な文章、「言語文化」は古文、漢文と近代以降の文学的な文章を扱う。現行の「国語総合」の現代文の要素を「~的な文章」の3種類に区分したわけですが、明確に分けられるものでしょうか。
 論理的な文章を学ぶ際、想像力を働かせることも教えなければなりません。自分とは違う考えを理解する時、論理の組み立てには想像力が必要です。想像を欠いた平板な論理を振りかざし、理屈をつなげるだけではコミュニケーションはできません。
 優れた評論にも比喩や見立てなど文学的な技法が使われています。政治学者の故丸山真男さんは評論で「『である』ことと『する』こと」という言い回しを使い、戦後日本の民主主義の担い手のあり方を表しました。
 思春期は生と死について考え、性や人間関係の問題で苦しむ時期。狭い価値観の中では周りが見えなくなります。生徒たちに広い世界を意識させる方法の一つが、予想外の言葉に出合うこと。違う見方を示す言葉を投げ掛けられると、気付かなかった問題点が言語化されることがある。そのために文学を学ぶのです。
 学習指導要領は「先の見えない時代に対応する」とのお題目が先行しているように見えます。今こそ基礎を重視しなければ。国語の基本は読むこと。話す、聞く、書くことも大切ですが、言葉は人がつくったもの。自分の中に取り込み、組み合わせて発信する。インプットしなければアウトプットし続けられません。
 子どもから大人へ変化する時期には、しっかりと考える訓練が欠かせません。国語の授業で目指すべきは、考える上で重要な言葉の運用能力を身に付けること。そうすればどんな時代にも対応できるのではないでしょうか。

 こうの・けんすけ 1956年、東京都生まれ。早稲田大大学院文学研究科博士課程中退。麻布中学・高校教諭を経て日本大文理学部教授。1月まで同学部長。主な著書に「国語教育 混迷する改革」ほか。筑摩書房高等学校用国語教科書編集委員。

書く・話す 充実を  東海大語学教育センター教授 村上治美さん

 「高校の国語科の教科書から小説が減るとはいかがなものか」との意見が目立ちますが、長年の懸案の読解力向上と国語教育の充実のためには、従来と違った視点が必要です。新指導要領で文学作品は、必修の「言語文化」と選択の「文学国語」の2科目に組み込まれました。従来の科目から文学作品を取り出し、文学として教えようとする方向性は評価できます。
 小説などの文学作品を味わう、面白さに触れるという部分は、音楽や美術といった科目に近いともいえます。しかし、現状の国語科で扱われている文学は、読解にとどまっているようでもったいない。
 今はコンピューターで必要な資料を即座に探す時代。学校では文章の「精読」に力が入りがちですが、同時に「速読」のスキルや、多くの情報から必要な事項を短時間で取り出す力も大切です。文章を書くのも、どれだけ分かりやすく伝えるかに力点が移っています。
 「書く」「話す」の領域がおろそかにされているとも感じます。大学生の文章で、A4の紙1枚分を改行もなく書いてあることも。思いつくまま、話の展開を考えずにだらだらと書き、話すことが野放しになっている印象があり、指導の充実を望みます。
 本離れで、名著には授業でしか触れないという人も多くなりましたが、現状を踏まえると、高校の必修科目で文学作品が教材になる機会が減るのはやむを得ません。文学作品を教材で扱うなら、映画やラジオドラマなども織り交ぜながら、多面的に理解を促してほしい。原作を読んでみようという意欲も生まれ、結果として国語力の向上につながるのではないでしょうか。新指導要領を機に、幅広い視野で国語教育の在り方を考えていかなければなりません。

 むらかみ・はるみ 1957年、千葉県生まれ。東京外国語大外国語学研究科修士課程修了。拓殖大、釜山大講師を経て現職。主な著書に「日本語教育叢書『つくる』 作文教材を作る」「日本語中級表現 アカデミック・ジャパニーズ表現の基礎」。

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