掛布雅之さんら阪神OBのV戦士自ら復興イベントでカレーの炊き出しやトークショー「ワン・ピースで頑張ろう」
2022年1月17日 18時53分
かつて「ミスター・タイガース」と呼ばれた掛布雅之さん(66)ほか阪神OBのV戦士らが、阪神・淡路大震災から27年が経った17日、当時被害が甚大だった神戸市長田区の大正筋商店街で「神戸震災復興フリーイベント」に参加して、カレーの炊き出しやトークショーを行った。
震災当時、すでに現役を引退していた掛布さんは炊き出しのボランティアをした。そのときの被災者の言葉を忘れることがない。「子どもたちの笑顔と笑い声がなくなってしまった、いつ戻るんだろうね、と話されていたのが印象に残っている。人の笑顔、笑い声がないと本当に復興とは言えない。心の笑顔を忘れず、ワン・ピースで頑張っていきましょう」と集まった人たちに語りかけた。
懐かしいOBもイベントに参加した。1985年、4番の掛布さんと一緒にプレーした池田親興さん、中西清起さん、仲田幸司さんだ。この3人は1983年度ドラフト同期。1位指名が中西さん、2位指名が池田さん、3位指名が仲田さんだった。
池田さんは当時、ダイエーからヤクルトへ移籍が決まり、関西から震災前日に東京へ移動。17日に東京で入団会見が行われるためだった。このため実際に地震は経験していないが、旧友らに電話しても誰にもつながらず、不安を抱いた記憶が残っている。現役引退した震災翌年には、法大時代の同級生が野球部監督を務める村野工のグラウンドを訪問。遺体が安置されたこともあり、手を合わせて冥福を祈った。それ以来の神戸訪問という。
「掛布さんと日本一になったドラフト同期3人もこのイベントに呼んでもらった。ファンの印象のなかに俺は生きていると思うのでお返しをできれば」と参加した。
震災が起こったとき、仲田さんは自主トレのために入った大津市のホテルにいた。和田豊さん(元監督)ら同僚とすぐに大阪へ戻ると、大阪駅から西宮市の自宅へみんなで歩いて帰った。9時間ぐらいは要して、選手それぞれの自宅へ、みんなで安否確認に回ったという。
「震災の年、車は大渋滞して球場へ普段なら30分程度のところが3、4時間かかったので、スクーターを買って甲子園へ通いました。とてつもないことが起こった。最近はあちこちで災害が起こっている。神戸で起こったことも伝えていかないと。今は(建設会社で)現場監督をしていますが、仕事の基本の準備・確認・実行は災害に備えても大事」と話した。
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