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自ら「奇跡」と語る野球人生…殿堂入りの山本昌さん 最後の夢は“指導者”「全てをなげうつ」

2022年1月15日 11時00分

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生原昭宏(アイク生原)さんのレリーフと記念撮影する山本昌さん(代表撮影)

生原昭宏(アイク生原)さんのレリーフと記念撮影する山本昌さん(代表撮影)

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って【特別編】
 昌さんは自らの野球人生を「奇跡」だと言う。
 「ファミコン(さすが昭和の男!)みたいにリセットボタンを押すと、野球界のレギュラーのほとんどは入れ替わる。松井やイチローみたいに、何度押しても変わらない人もいるけど、僕は消える。一度きりの人生だからこそ。何百万回やり直しても、こうはならなかった」
 消えていたかも…。と思うエピソードは、確かに事欠かない。小学生の時、初試合のスコアは0―36だった。中学でも補欠。プロに入っても2年間は1軍から声もかからず、3年目の防御率が27.00、4年目が16.20。ブルペンで必死に投げているのに、星野仙一監督に「いつになったら全力で投げるんだ?」と言われた。転機となった5年目のベロビーチ留学でも、サンディー・コーファックス(ドジャースのレジェンド左腕)は、昌さんの投球を数球見て、こう言ったそうだ。
 「この投手は今すぐにサイドハンドにするか、さもなくばトラック運転手になるべきだ」。見込みはない。さっさと職替えしろ。そう断言された男が、6年後に沢村賞に輝き、20年後に名球会、34年後に野球殿堂入りを決めたのだ。
 5年目にようやく初勝利を挙げた左腕は、20代で79勝、30代で94勝、40代でも46勝。生涯5万3760球を投げ、1万46個のアウトを奪った。219勝を挙げ、50歳で投げた。遅咲きで長寿。たとえ「奇跡」だとしても、野球殿堂にふさわしい人生だ。栄誉は極めた。最後の夢は?
 「1シーズン、指導者として戦ったことがない。培ったノウハウ、勉強してきたことを還元したい。いつか、その時が来たら、全てをなげうってやる準備はしています」
 苦しみ、あがく若者の後ろでそっとリセットボタンを押し、一度きりの人生に、大輪の花を咲かせてあげる。昌さんにしか伝えられないことがある。

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