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真正直、慕われた雄弁家 海部元首相死去

2022年1月15日 05時00分 (1月15日 05時01分更新)
首相就任後に地元入りし、住民に手を振る海部俊樹さん(中央)=1990年7月、愛知県一宮市で

首相就任後に地元入りし、住民に手を振る海部俊樹さん(中央)=1990年7月、愛知県一宮市で

  • 首相就任後に地元入りし、住民に手を振る海部俊樹さん(中央)=1990年7月、愛知県一宮市で
  • 全国高校弁論大会が毎年開かれる東海学園大講堂。この演壇に大会中、海部さんも立ったとみられる=14日、名古屋市東区で
 あけっぴろげで温和。政治家にしては、庶民的で普通っぽくも見える。九十一歳で死去した元首相の海部俊樹さんは、二〇一四年から二十回にわたり、本紙インタビューで首相在任の約二年三カ月を語った。平成の初め、政治不信は高まり、日本の国際貢献を求める米国の圧力は強まる一方。難局を思い起こす宰相の印象は、真正直そのものだった。 (垣見洋樹)
 普通っぽさも一本筋を貫けば道を切り開く鍵になる。そう感じたのは、五十八歳で首相になる経緯を尋ねたときのこと。
 「リクルート(関連企業の)未公開株はのどから手が出るほどほしかった。金づるはほしかったよな。でも乗り越えてはならん一線だと思った」
 自民党の小派閥、河本派のナンバー2で、主な経歴は文相と官房副長官のみ。そんな海部さんが急浮上した要因は、党を揺るがしたリクルート事件や女性問題といったスキャンダルと無縁で、清廉だったからだ。
 名古屋の写真店に生まれ、まっとうな庶民の感覚を持ち続けたからこそ、「毒まんじゅう」を食らわずに済んだ。
 非凡なのは演説の才能だった。戦後の焼け野原に立っていた旧制東海中学。戦前の教育が全て否定され、十四歳の海部少年は、大人を信用できず...

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