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第3章 出世の階段

2022年1月14日 12時07分 (1月17日 12時50分更新)

(5)45歳の文部大臣

 海部俊樹氏は一九七六年十二月、文部大臣として初入閣を果たした。四十五歳のことだ。恩師で総理だった三木武夫氏(八八年死去)が激しい党内対立の末、退陣した後だけに、思いがけない抜てきだった。三木氏が、後任総理の福田赳夫氏(九五年死去)に、海部氏の入閣を依頼したという。
 最初、大臣の話をいただいたとき、正直、私は戸惑った。つい先日までの「三木おろし」のときは、テレビの討論会で各派閥の代表たちと悪口を言い合っていたんだから。
 しかし、自民党というのは、派閥が違っていようが、昨日までけんかをやっていようが、同じテーブルに着いたらすっと仲良くなる。なれなければ務まらないんだ。
 就任してやろうと思ったことは、教育方針をめぐって政府と対立していた日本教職員組合(日教組)との対話だった。
 あるとき、テレビ番組のゲストとして日教組委員長の槙枝元文(まきえだもとふみ)さん(二〇一〇年死去)と対談したことがある。
 その番組で、槙枝さんと私が、当時の中学入試の算数の問題を解くという趣向があった。結果は槙枝さんが零点、私が五十点。
 教諭の経験がある人に勝ってほっとしたが、会場に招かれた小学六年生はみな百点だった。ある男の子が種明かしをした。「こんな難しい問題の解き方は、塾で習ったんだよ」
 私は、塾で習う受験技術でしか解けないような問題で、中学入試が行われているのは問題だと感じた。当時から受験競争の低年齢化が始まっていたのだ。
 もう一つ、印象に残っているのは、国会の委員会で新潟県選出の日教組系社会党議員、木島喜兵衛さん(九三年死去)から受けた質問だ。「雪が解けたらどうなるというテストが出たら、どう答えますか」と聞いてきた。
 私が「水になると答えると思いますが」と応じると、彼は「春を待ちわびている地域の人が、雪が解けたら春になると答えるのはバッテンでしょうか」と突っ込んできた。子どもたちの評価を、もっと柔軟に考えるべきだという趣旨だった。
 これにはいささかむきになった。「心情的には分かりますが、雪が解けてもまだ冬であることや、夏になったというようなことも全国的にはあります」と反論したが、後味の良くない議論になった。
 雪が解ければ春、というのは大人への応用問題の答えであって、子どもに教えるなら普遍的なことを優先すべきだと思う。
 教育は大人の都合や思惑にいつも左右される。子どもにはまず基礎、基本を教え、その上で、おのおのの可能性を広げてほしい。それが大臣としての考え方だった。

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