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湖西市制50周年 市制施行当時の思い出

2022年1月5日 05時00分 (1月5日 05時03分更新)
深夜零時に看板を掛け替える当時の木村市郎市長(右)と猪井善亮助役=湖西市鷲津で

深夜零時に看板を掛け替える当時の木村市郎市長(右)と猪井善亮助役=湖西市鷲津で

  • 深夜零時に看板を掛け替える当時の木村市郎市長(右)と猪井善亮助役=湖西市鷲津で
  • カラー刷りされた50年前の市勢要覧
 一九七二年一月一日、県で二十一番目、全国で六百二十三番目の市として産声を上げた湖西市。午前零時に、木村市郎・初代市長と当時の猪井善亮助役(後の二代目市長)が、現在の湖西郵便局付近にあった旧湖西町役場の看板を掛け替えた。
 その日の午前十時に市職員全員が集った開庁式を市庁舎前で開催。職員として参列した当時二十二歳の渡辺貢さん(72)=同市白須賀=は、当時労働行政を担当し、消防本部南にあった旧勤労青少年ホームの建設準備に奔走した。「働く若者の多いまちで、これから発展していくんだという希望を感じた」と懐かしむ。
 二町三村が合併した「湖西町」の誕生から十六年九カ月で、当時の人口は約三万二千人。市は市内全世帯に記念タオルとカラー写真付きの市勢要覧を配布し、小中学校の児童生徒には記念ハンカチを配った。
 市民代表ら六百人を招いた記念式典は、一月五日に市役所向かいの鷲津中学校講堂で開催。木村市長は「小さいながらも、将来、工業と農業の都市として発展させていく」とあいさつした。式典では、市章と市歌、市の花「クチナシ」、市の木「クロマツ」を発表し、考案者に賞状や感謝状を贈呈。同校生徒が市歌を斉唱し、式典に花を添えた。式典後に会場で開かれた演芸大会には五百五十人の観客が詰め掛け、市民らによるバンド演奏や舞踊、歌唱でにぎわった。
 市章は三重県鈴鹿市の北川治さんが考案。浜名湖の波頭と平仮名の「こ」、浜名湖から見た湖西市の位置を示した。市制二十周年事業で生まれた市のキャラクター「コーちゃん」にも形が生かされている。同朋大の夏目忠男さんが作詞、静岡大の本間彦作さんが作曲した市歌には、遠州灘や浜名湖の景色やトヨタグループの創始者で市出身の豊田佐吉が歌われ、現在は正午の時報の音楽としても親しまれている。
 当時の市の広報紙では、多米峠入口交差点と当時の市役所前、みのわ通り近くの三カ所に記念モニュメントが置かれ、市内各地で祝賀パレードが開かれたと記録されている。当時鷲津小三年生で、今年の市制五十周年記念品の企画に携わった養鶉(ようじゅん)業、近藤哲治さん(59)=同市白須賀=は「まちはお祭り騒ぎで、学校で市歌を何度も歌ったのを思い出す」と振り返る。 (鈴木太郎)

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