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【独自】松坂屋初代の渡米回顧録 渋沢栄一に随行、発明王エジソンと面会も

2021年12月26日 05時00分 (12月26日 05時01分更新)
渡米翌年に名古屋・鶴舞公園で開かれた会合で集合写真に納まる伊藤祐民(前列左端)、渋沢栄一(2列目右端)ら=伊藤家蔵

渡米翌年に名古屋・鶴舞公園で開かれた会合で集合写真に納まる伊藤祐民(前列左端)、渋沢栄一(2列目右端)ら=伊藤家蔵

  • 渡米翌年に名古屋・鶴舞公園で開かれた会合で集合写真に納まる伊藤祐民(前列左端)、渋沢栄一(2列目右端)ら=伊藤家蔵
  • 伊藤祐民の回顧録。表紙には出発日と祐民の年齢が数えで記されている=名古屋市千種区で
 日本の資本主義の父とされ、新一万円札に肖像が採用された実業家渋沢栄一(一八四〇〜一九三一年)。その渋沢が明治末期に団長を務めた民間の米国視察団「渡米実業団」について、名古屋から参加した伊藤祐民(すけたみ)(のちの松坂屋初代社長、一八七八〜一九四〇年)の回顧録が見つかり、内容の詳細が判明した。過密日程の中で、先進国から懸命に学ぼうとした青年の姿がにじむ。
 視察団は一九〇九(明治四十二)年、実業家ら約五十人が三カ月間、米国の主要都市を巡った。祐民は当時三十一歳と若く、渋沢に目をかけられたという。
 伊藤家が所蔵する史料群から、「渡米実業団誌」と記された糸とじの冊子が見つかったのは昨年夏。祐民の孫に当たる松坂屋元社長の故・祐洋さんの妻きよゑさん(86)は、達者な筆運びを見て直筆と直感した。親族の野村美術館(京都市)理事長伊藤美乙子(みつこ)さん(49)らと内容を確認してきた。
 回顧録は、道中の出来事が簡潔に記してある。面会した当時の米国の重要人物の中には発明王トーマス・エジソンの名も。耳が不自由だったエジソンとの会話は「通訳の苦心は非常であった」とつづられている。
 日露戦争に勝利したばかりで...

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