本文へ移動

【企画・NAGOYA発】『お笑いマンガ道場』17年司会…柏村武昭さんが振り返る“お化け番組”の裏側 なぜ視聴率20%超を達成できたのか

2021年12月20日 12時26分

このエントリーをはてなブックマークに追加

郷里の広島でラジオ番組を持つ柏村武昭さん(佐藤芳雄撮影)


◇口の悪いやつを探していた
◇第3回「お笑いマンガ道場」特別インタビュー第1弾
中京テレビで1994年まで18年にわたって制作されたバラエティー番組「お笑いマンガ道場」で2代目司会を17年間務めた柏村武昭さん。77歳になった今もアナウンサーとして振り出した郷里の広島でラジオ番組を持ち、政治、経済から街の話題まで本音トークを聞かせている。お笑いマンガ道場の思い出を語った。(構成・佐藤芳雄)
  ◇  ◇  ◇
―放送開始1年後の77年4月に2代目司会に起用された
 柏村さん「お笑いマンガ道場は(中京テレビ初代プロデューサーの)沢田健邦さんの生んだ傑作でしょうね」
―東京でフリーアナウンサーとして活躍されていた。そこに初代司会の桂米丸さんの後任を探していた沢田さんと構成作家の大岩賞介さんが訪ねてきたとか
 「ラジオの夕方ワイドをやっていたら、窓の外にぞろぞろと人が来て『名古屋から来ているらしい』と。当時はTBSやフジテレビ、ラジオなど6、7本レギュラーを持っていました。沢田さんはローカル番組とは言っていましたが、出てる人がマイナーじゃなくて鈴木(義司)先生も富永(一朗)先生もよく存じ上げていた。漫画は好きだったので喜んで引き受けました。口の悪いやつはいないかって探していたみたいです(笑)」
◇お客のために遠慮なく「毒」
―当時の柏村さんは33歳。演出などでぶつかり合うこともあったのでは?
 「鈴木さんや富永さんからもこれはこうしたらいいという意見も出ていたし、大岩さんもアイデアがふつふつと沸いていた。僕はスタートしていた番組に入ったので、リズムや雰囲気に乗り遅れまいとするのが精いっぱい。最初は余裕がなかった。沢田さんも厳しくて『ここはこう決めてくれないと困る』とか結構言ってきましたけど」

 柏村さん(手前中)は2代目司会者として番組を支えた(中京テレビ提供)


―その年の年末に名古屋地区で視聴率が20%を超え、放送も全国に広がっていく。柏村さんの「毒」にも磨きがかかる。
 「僕は歯に衣(きぬ)着せぬ言い方をあえてさせてもらったんで。鈴木先生や富永先生にも『言い過ぎたらごめんなさい、だけど面白くするためですから』と言ったら『何言ってもいいよ、俺たちが返せばいいんだから』と。それに2人ともツッコんでほしい部分はあるわけですよ。公開収録でお客さんもいるわけですし」
◇車だん吉さんの凄み
―司会で一番心がけた部分は?
 「自分を出さない。彼らの漫画が主役にして書いている人たちの個性みたいなものの良さをどのように引き出せばいいか、毎回ゲストも替わるので、そればかり考えていました」
―時には柏村さんの垂れ目も漫画のネタになった
 「もうどんどん書いてくださいと。もうウケればいいんですから。僕は別に二枚目で売っているわけじゃないし(笑)」
―長年レギュラーとしてともに出演した漫画家2人、車だん吉さんについて

9月に放送された令和版の特番にも出演。右隣がレギュラー解答者だった車だん吉(中京テレビ提供)


 「僕はこの世で漫画家が一番すごいと思っています。例えば、桃太郎を絵で書けといったら書けますか? 髪形とか着物の柄とか、刀はどう刺してる…。あの人たちは平気で書く。つまり教養や引き出しがある。それを番組で18年続けてきた」
―司会も大変
 「僕もしゃべる商売だから引き出しをつくらなきゃと。だから今でもまだ勉強してます。だんちゃんも2人の先生と違った独特の世界を持っていた。漫画が好きなんですね。(のちにレギュラーとなる川島)なお美ちゃんたちも含めて、それぞれの個性がバラバラにならず1つになりながら、違った個性で皆さんを楽しませていた。だから番組は18年続いたと思います」
―90年に東京での収録に変わるまで名古屋・中京テレビでの収録に13年間通われた。名古屋での思い出は?
 「当時の中京テレビは名古屋駅から車で40分くらいかかったけど、雰囲気がありましたね。収録が終わると出演者みんなで宴会をして、その後でだんちゃんと2人で飲みに行くこともありました。だんちゃんは酔うと、お店でどんどん漫画を書いちゃう。名古屋の店に漫画が残ってる店が多いんじゃないかな(笑)。時には温泉に出かけたり、知多半島の島へ遊びに行ったりしたこともありました」
◇YouTubeでの配信で手応え
―9月には特番「復活!令和もお笑いマンガ道場」が放送され、柏村さんも27年ぶりに出演された
 「沢田さんや大岩さんをはじめ、令和版のプロデューサーをした(6代目の)瀬古ちゃんがいて…。昔お世話になったスタッフに囲まれて非常に楽しかった。今のような時代、家に帰ってテレビをつけた時くらいは家族みんなで笑い合える、そういう番組を見たいわけですよ」
―YouTubeでも番組の一部が配信された
 「だから、YouTubeで何十万回も再生されたと聞いて、おっ!と思った。これはまんざら捨てたもんじゃないと。27年前に終わった番組なんか見ないでしょ、普通は。これ毎週でもいいなと思ったね」
―2001年から参議院議員を約6年間務められた。アナウンサー生活半世紀の中でマンガ道場の存在は?
 「僕の人生にとってずいぶん影響を与えてくれた番組。代表作といえば全国的にはマンガ道場ですからね。途中から加わって一番苦労しただけ、思い出になっています。おしゃべりの商売やっている者にとっては素晴らしい学びの場でしたし、僕の話術が77歳の今も通用しているのはマンガ道場のおかげじゃないかと思います」
  ◇  ◇  ◇
▼柏村 武昭(かしむら・たけあき) 1944年1月1日、広島県三次市出身。早大ではアナウンス研究会に所属。卒業後、広島県の民放局・中国放送に入社。75年に全国ラジオパーソナリティーによる「飛び出せ全国DJ諸君」の初代グランプリを獲得し、深夜番組「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)に初の地方局アナとしてレギュラー出演。同年に退社してフリーに。77年から最終回の94年まで「お笑いマンガ道場」の2代目司会者を務めた。2001年に参議院議員選挙に立候補し当選。防衛政務官などを歴任して07年に辞職し、同年の広島市長選に挑戦するも落選。現在は広島FM「柏村武昭のだんRUNラジオ」などに出演中。

関連キーワード

おすすめ情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ