本文へ移動

【企画・NAGOYA発】40年前にあった『オモウマい店』のルーツ 地方から全国へ飛び出した『お笑いマンガ道場』

2021年12月20日 12時26分

このエントリーをはてなブックマークに追加

初代司会者を務めた桂米丸(中京テレビ提供)

◇テレビ界に爪痕を残す
◇第3回「お笑いマンガ道場」(その1)
 日本テレビ系などで1970~90年代全国に放送された人気バラエティー番組「お笑いマンガ道場」。94年に番組終了してから27年の月日がたつが、今年9月に東海地区限定で特番が放送された。番組開始から制作を手掛けたのは名古屋市に本社を置く中京テレビ。ローカルのバラエティー番組がのちに全国展開に至るモデルケースにもなった。しかも大喜利スタイルの形態は落語家が出演する演芸番組以外では初。テレビ界に爪痕を残した伝説の番組でもある。
  ◇  ◇  ◇
 今年9月26日、東海地区限定ながら中京テレビ制作で「復活!令和もお笑いマンガ道場」が27年ぶりに放送された。司会は77歳の柏村武昭、解答席にはレギュラーだった車だん吉(78)も元気な姿を見せた。放送当時のセットや衣装も再現され、当時の貴重な映像も流された。

開局当初の中京テレビ放送の社屋


 同局制作の「オモウマい店」など現在はローカル局制作のバラエティー番組が全国展開するケースが多いが、全国ネットされた往年の番組は東京のキー局か、大阪の準キー局の制作がほとんど。その中で中京テレビ制作の「お笑いマンガ道場」はローカル番組から全国ネットに成功した初の長寿バラエティー番組で、18年間、温かい笑いをお茶の間に届け続けた。
◇大喜利を採用した先駆けに
 第1回放送は76年4月4日、日曜日の午後0時45分。東海3県ローカルだった。
 初代司会は落語家の桂米丸(96)、レギュラー解答者は新聞で4コマ漫画を連載するなど風刺漫画で人気の鈴木義司さん(2004年に75歳で死去)と、「チンコロ姐ちゃん」のギャグ漫画を手掛けた富永一朗さん(今年5月に96歳で死去)。さらに「カックラキン大放送」などバラエティー番組で活躍していた車だん吉、女性グループ「ゴールデン・ハーフ」でデビューしたエバ(68)を加えた4人。初回のゲストは歌手で女優の牧美智子だった。

初期のレギュラー解答者。鈴木義司さん、富永一朗さん、車だん吉、エバ(中京テレビ提供)


 番組は鈴木さん、富永さんが審査する素人マンガ道場に始まり、米丸の出題に解答者が漫画で答えていく大喜利という流れ。第1回の映像は現存していないが、当時の台本には「ごきげんいかがでしょうか、今日から始まりました、お笑いマンガ道場、私、司会の桂米丸でございます。(中略)さて、日曜のお昼は笑ってお過ごしいただきたいと思います」と米丸のセリフが書かれている。
 大喜利スタイルは日本テレビ系の長寿番組「笑点」のほかに、他局でも「お笑いタッグマッチ」(フジテレビ、59~67年)、「お好み演芸会」(NHK、73~91年)などが制作されたが、いずれも「本業」の落語家による番組だった。
 近年では「IPPONグランプリ」(フジテレビ系)、「着信御礼!ケータイ大喜利」(NHK)など大喜利スタイルが相次いで登場。その点では「マンガ道場」は演芸番組以外で大喜利を採用した先駆けとなった。
◇制作部長から突きつけられた難題
 番組プロデューサーを務めた沢田健邦さん(74)は番組誕生のいきさつを懐かしそうに振り返った。当時は入社7年目で制作局に異動したばかり。中京テレビ自体も69年の開局で名古屋のテレビ局では後発だったこともあり、日本テレビから出向してきた制作部長から、ある難題を突きつけられたという。

初代番組プロデューサーを務めた沢田健邦さん(佐藤芳雄撮影)


 「部長は頑固で、完成度の低いバラエティー番組にいらついていたところがあった。コマ漫画で何かできないかと何カ月も言われ続け、『漫画を使って大喜利みたいにやる、これくらいしかないんじゃないですか』と答えたら『それでいこう!』ということに…」
 当時の報道部長が鈴木さんと友人だった。そのつてで出演依頼のため、あいさつに行くと「ああ、できるよ」と快諾をもらい、スポンサー企業向けの企画書に使うイラストをさらさらと描いてもらった。鈴木さんは富永さんとも交流があり、2人が出演することに。鈴木さんはのちに「これ、俺の企画だからね」とも証言している。
 ただし、バラエティー番組制作の経験が浅く、大喜利スタイルの番組を始めることを報告すべく、日本テレビに出向いた際、同局のオーディション番組「スター誕生」を担当する旧知のスタッフに企画の内容を説明すると「何が面白いの? 楽しくないよ。ダメだよ!」とだめ出しを食らってしまった。
◇構成作家には三谷幸喜さんも
 窮地を救ったのはタレント萩本欽一のブレーンで構成作家集団「パジャマ党」の一員、大岩賞介さん(76)だった。
 当初は解答者全員を漫画家にする構想で当時人気のあった水森亜土さんに狙いをつけたが、沢田さんは「会いに行くと、収録は名古屋で、と言った途端に『午前中起きるの? できない、寝てるから』と断られてしまい…。すると、大岩さんから、所属する浅井企画の年賀状やタオルのイラストを描いていただん吉さんを紹介していただいた」と振り返った。

第1回放送の台本(佐藤芳雄撮影)


 大岩さんに構成作家として番組に参加してもらい、有能なスタッフも集めてもらった。1980年代にはのちに人気脚本家となる三谷幸喜さんも構成作家として名を連ねていた。
(佐藤芳雄)

関連キーワード

おすすめ情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ