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【石川】「わたしがこどものころ せんそうがあった」 当時の絵日記まとめ出版

2021年12月9日 05時00分 (12月9日 10時56分更新)
自宅2階の納戸の整理で漆の文箱から見つかった3冊の絵日記

自宅2階の納戸の整理で漆の文箱から見つかった3冊の絵日記

  • 自宅2階の納戸の整理で漆の文箱から見つかった3冊の絵日記
  • 1943年の夏、富山県高岡市で、いとこたちと遊ぶ当時国民学校1年の朝岡明美さん(右端)
  • 自費出版した本を手に紹介する朝岡明美さん=石川県小松市丸の内町で

▽小松の朝岡さん(85)「記憶を後世に伝えたい」

 富山県高岡市出身で石川県小松市丸の内町の元教師、朝岡明美さん(85)が八日、戦中、戦後の国民学校時代につづった絵日記などをまとめ、「わたしがこどものころ せんそうがあった」(能登印刷)と題した絵本を自費出版した。「バケツ訓練」「兵隊さん送り」など、当時の子どもが体験した戦時下の日常が見て取れる。真珠湾攻撃による日米開戦から八十年、朝岡さんは「戦時下の記憶を後世につなぐバトンゾーンにいる者として、伝えたいことがある」と話し、平和への思いが広がることを期待する。(久我玲)
 朝岡さんが高岡市の川原国民学校初等科一年生になった一九四三年の夏休みと冬休みの出来事を中心に、当時を振り返っている。旧仮名遣いで記され、色鉛筆のスケッチが添えられている。
 「オバアチャンハ オオサカカラ キシャニノッテタカオカヘ カエッテコラレマシタ。ソノトキハ ヘイタイサンオクリデシタ」(一九四三年八月二十三日)
 「ケフハ チヤウナイデ コドモノ バケツクンレンヲ シマシタ」(同月二十八日)
 終戦後二年がたった四七年八月十五日の日記(当時五年生)には「陰気くさいかびの臭い防空壕(ごう)の中に入ると、もんぺのお尻が湿っぼく濡(ぬ)れた夜のことを思い出すとぞっとします。戦争が終わったのでほんとうに幸せです」とつづる。
 四年前、自宅二階の納戸の整理中、嫁ぐ日の荷物に母がしのばせてくれた漆の文箱から絵日記三冊を見つけた。朝岡さんは「戦争の記憶といえば、食べ物がなくてひもじかったり、かび臭い防空壕の記憶だけだったが、いとおしい日常を生きていたことを教えてくれた」。一方で、いとこたちと紙芝居を聞いたこと、紙飛行機を飛ばした楽しい日常にも、戦争が影を落としていたことにも気付いた。
 本にまとめようと思ったのは今年七月。新型コロナウイルスの影響で大好きだったコーラスの練習やスイミングのために外出する機会が減った。世界で起きる内戦や隣国同士の緊張関係をニュースで聞くことが増え、自らの戦争体験を残し、伝えたいと考えた。
 戦争を知らない世代が増える中、朝岡さんは「家族みんなで戦争について話したり、学校での平和学習に役立てたりしてほしい」と願っている。
 A4変型で七十六ページ、税抜き千五百円。三百五十冊刷り、小松市内の全小中学校、図書館と空とこども絵本館に寄贈する。問い合わせは、能登印刷=電076(265)4040=へ。

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