艦長「君たちは矢だ」 日米開戦80年、真珠湾攻撃・元偵察員の証言
2021年12月8日 05時00分 (1月7日 10時01分更新)
「暴慢不遜(そん)ナル宿敵米国ニ対シ愈々(いよいよ)十二月八日ヲ期シテ開戦セラレントシ…」。一九四一(昭和十六)年十一月二十四日。千島列島・択捉(えとろふ)島の単冠(ひとかっぷ)湾に停泊していた空母「蒼龍(そうりゅう)」の艦内で、艦隊を率いる南雲忠一海軍中将の訓示を艦長が代読した。約八十人の航空機搭乗員たちに、ハワイを攻撃し、米国と戦争を始める旨が告げられた。
吉岡政光さん(百三歳)=東京都足立区=は「これは帰れない。ハワイで死ななければいけない」と、興奮から全身の血がすべてデッキに吸い取られるような感覚に陥った。
十一月二十六日、空母六隻を中心に編成された海軍機動部隊は単冠湾を出発。十二月八日(日本時間、現地時間は七日)。吉岡さんは三人乗りの「九七式艦上攻撃機」に搭乗し、戦闘時に爆弾や魚雷を投下する「偵察員」を務めた。
艦長から「俺たちは弓である。君たちは矢だ。間違いなくしっかり敵に当たってきてくれ」と激励を受け、重さ八百キロの魚雷を搭載した機体は一路、オアフ島の真珠湾を目指した。
日本軍の真珠湾攻撃などに端を発した太平洋戦争の開戦から八日で八十年を迎える。
死は怖くなかったが…攻撃...
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