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【井出明のダークツーリズムで歩く 北陸の近現代】(6)宇奈月温泉事件の石碑

2021年12月4日 05時00分 (12月4日 11時19分更新)

▽「私的所有権の絶対性」修正される
▽引湯管設置の土地巡り係争

 「物を所有する権利」というのは、歴史上どのような意味を持っていたのだろう? 近代の幕開けとも呼べるフランス人権宣言は、その一七条において「所有は不可侵かつ神聖な権利…」と述べ、私的所有権の絶対性を高らかにうたい上げている。また明治に生まれた大日本帝国憲法でも、二七条には「日本臣民ハ其(そ)ノ所有權ヲ侵サルヽコトナシ」という法文があり、所有権は大切な権利だとされてきた。
 西欧の歴史を振り返れば、王様が民間人の財産を侵す例など枚挙に暇がなかったわけで、近代国家が生まれる際に「所有権の不可侵」が人権として語られたことも合点がいく。ただその権利は、絶対的なものなのかといえば、実はかなり悩ましい。 
 富山の名湯宇奈月温泉では、大正から昭和の初期にかけて、所有権を巡り大変興味深い係争があった。地元温泉業者のために泉源からお湯を導く管が、無許可で他人の私有地をわずかにかすめていたため、それを目ざとく見つけた者が土地を入手し、引湯管の所有者に高額で土地を買い取るように要求したという事案である。
 買い取り請求は拒絶されたため、土地所有者はその後、引湯管の抜去(ばっきょ)を求めて裁判に打って出たのだが、戦前の大審院(現在の最高裁)は、抜去の要求が「権利の濫用(らんよう)に当たる」として退けた。当時の民法にはこの“権利の濫用”に関する明文規定が無かったのだが、さすがに抜去の請求を認めてしまえば、著しく不公平になると判断したのである。

宇奈月温泉木管事件碑を訪ねた筆者=富山県黒部市で

 さて、所有権が近代の理念通り“不可侵かつ神聖の権利”だとすれば、引湯管にまつわる要求は、いくら理不尽であったとしても、人権宣言の精神から認めざるを得ないはずである。しかし、それは我々の素朴な正義感情に反することになり、そうであるとすれば絶対的なものであるはずの“人権”が、現実の変化に沿って再検討される余地があることをこの事案は示している。さらに広く地球的規模で見てみると、日本のアイヌ民族をはじめとして世界の先住民の文化の中には、近代西洋の所有権とはかなり異なる概念で土地を利用する仕組みがあったことは至るところで報告されている。
 現地付近を訪れてみると、高岡法科大学の学長を務められた吉原節夫名誉教授による解説の碑文を目にすることになる。また、夏場であれば、宇奈月温泉を出るトロッコ列車に乗って、まさに源泉を訪問することもできるし、車中で流れる音声ガイドは引湯管の場所も教えてくれる。
 宇奈月温泉は、風光明媚(めいび)な景観もその魅力の一つであるが、近代の大原則であった「所有権絶対の法則」がこの地で修正されたという感慨を持ちつつ温泉郷の休日を楽しんでみたい。(いで・あきら=金沢大国際基幹教育院准教授)

【メモ】宇奈月温泉事件=富山県の黒薙温泉から宇奈月温泉(ともに現黒部市)に湯を送る引湯管を巡って発生。木管が個人の土地を許可なくわずかに横切っていたため、この土地と隣接地の買い主が、土地所有権の妨害を理由に宇奈月温泉の経営会社に対し、高値での土地の買い取りを要求。これが拒否されたため裁判を起こした。当時の最高裁に当たる大審院は1935(昭和10)年、土地の不法占有は認めたが、買い主が不法な利益を得ようと所有権を主張しているにすぎないとして、上告を棄却。これが権利の濫用を禁止する判例となり、47年の改正民法では明文化されて民法の基本原則となった。


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