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河崎俊栄(1939〜2020年) 石川県七尾市 核廃絶、反戦 生涯訴え

2021年12月1日 05時00分 (12月1日 10時05分更新)

仏の教え 平和と慈悲

 宗教の枠を超え世界平和を目指す日本宗教者平和協議会の代表委員などとして核廃絶や反戦を唱え、戦没者慰霊などを生涯続けた。晩年は末期がんと闘いながら、核兵器禁止条約への日本の参加などを訴え続けた。平和を求め行動してこそ仏の教えに沿う。信念で突き進んだ半面、慈悲深い優しさが多くの人を引き寄せた。(室木泰彦)
 原点は大学時代。日米安全保障条約改定に反対する「六〇年安保闘争」に加わる。うちわ太鼓を手に「日米安保破棄」を唱え、行動する大切さを知った。住職を継いだ長男俊宏(しゅんこう)(53)によると、東京の寺から婿養子に誘われたが安保闘争に参加する姿がテレビに映り、破談。七尾へ帰り、協議会に入った。
 二十代後半で住職に。寺のお勤めを果たしつつ、一九八二年にニューヨークであった国連軍縮特別総会時は核廃絶を願う署名を提出。二〇一五年、国連本部に署名を出した際は団長が参加できず急きょ団長代理を担った。太平洋戦争の激戦地パラオへ六回訪れ戦没者慰霊を続けた。パラオには兵士らの遺骨が眠る。返還への調査を求める熱意が伝わり大統領と面会が実現、民族の長にも働き掛けた。
 「怒られた記憶がない」と俊宏。信念のイメージと裏腹におおらかで優しい父。町会長など役職も断ることはほとんどなかった。国内外を飛び回っても寺をおろそかにしたわけでない。七尾の絵師長谷川等伯の生家の菩提寺(ぼだいじ)として等伯四百回忌など法要にも尽力。ほぼ十年周期で改修を重ね、大規模な会合、家元が開く茶会も催す建物に整えた。
 一八年二月、末期胃がんと分かった。翌年のパラオ訪問は医師に止められ断念。「空港へ見送りに行ったが、心底行きたそうだった」と妻美知子(77)。体調悪化の中で一九年十月、沖縄に飛び新基地反対運動が続く辺野古などを訪れた。
 〇九年、河崎らと県宗教者平和協議会を結成した金沢市石引の等願寺住職、鳥越順丸(じゅんまる)(77)は「人を集めるためでなく、とにかく県内の活動拠点をとの思いが強かった」と振り返る。「アリの一穴が大きな壁を破る、そんな思いでコツコツ活動していた」としのぶ。
 俊宏は二十代後半、仏教仲間からラオス支援活動に誘われた。「行ってこい。外国に行かないと日本仏教の本当の姿が見えない」と旅費を渡された。行ってみるとその通り。俊宏も協議会に入り、日蓮宗世界平和ネットワーク代表を務める。娘二人にも海外経験を積ませる。「人は会って話し合ってこそコミュニケーションが取れ、平和につながる」。河崎の思いを受け継ぐ。(敬称略)
  ◇     ◇     ◇ 
 次回は、石川県の白山麓地域に足しげく通って調査し、焼き畑農業など独特の文化を後世に伝えた民俗学者の橘礼吉(一九三一〜二〇一九年)を紹介します。

【プロフィール】かわさき・しゅんえい=1939年、石川県七尾市生まれ。立正大仏教学部を卒業後、62年に日本宗教者平和協議会に入会し理事、代表委員などを歴任。立正平和の会理事長も務める。66年から七尾市小島町の日蓮宗本延寺住職。2020年5月、81歳で死去。


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