私が選ぶドラゴンズ歴代監督ベスト5、3位は与那嶺要、2位は星野仙一、そして1位は…【立川志らくのドラ放談】
2021年12月1日 06時00分
竜党を自負する著名人が独自の視点でドラゴンズ愛をつづる企画「ドラ放談」。落語家の立川志らく師匠(58)が立浪和義新監督(52)への期待を込めて歴代監督のベスト5を独自の視点で選出した。果たして第1位に輝いたのは…。日本シリーズはヤクルトの日本一で終わったが、頭の中は早くも来季に切り替えているようで……。文中は一部敬称略。
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新生立浪ドラゴンズには期待ばかりしかないが、今回は私が選ぶドラゴンズ歴代監督ベスト5を発表しよう。
ただし、リアルタイムで見てきた1970年代からである。まず第5位は高木守道。高木監督は地味なイメージであったがそれも仕方がない。第1次星野仙一政権の後、そして落合黄金期の後を引き継いでいるのだから。でも、成績は優勝こそないが悪くはない。最初が6位で、その後は2位、2位、5位。2度目が2位、4位。2位が3回もあるのだ。
この監督を語るにおいて避けられないのが「10・8」の読売との決戦。この試合の指揮を執ったというだけでもドラゴンズの歴史に残るべき監督である。不機嫌な感じで試合後のインタビューに答える姿も今となれば面白いというか愛らしい。
第4位は近藤貞雄。この人の何がすごいって選手、コーチ、監督の立場でそれぞれ優勝を経験しているってこと。トリプルスリーである。先発、中継ぎ、抑えの投手分業制を提唱したのは何を隠そう近藤さんである。ついでに言うとロッテの村田兆治のマサカリ投法を作り上げたのもこの方なのだ。
監督としての実績は80年最下位になった中利夫監督から引き継ぎその年は5位。しかし、翌年には2年目の牛島和彦を抑えに抜てきしてリーグ優勝を果たしている。わずか3年の監督ではあったが、名将の1人であることは間違いない。
3位は与那嶺要。ドラゴンズを20年ぶりに優勝させ、何より宿敵・読売のV10を阻んだのがこの監督である。もともとは読売のスター選手。私は間に合っていないが、1番与那嶺、2番千葉茂は最強コンビと呼ばれ、首位打者、MVPも取っている。
監督としてのすごさは執念。選手時代は川上哲治がライバル。しかし、川上が監督になると自分は干され、読売からドラゴンズに移籍。にっくき川上になんとしても勝ちたいと思い続け、何と読売V10を執念で阻止した。在籍5年でBクラスは1度だけである。
第2位は星野仙一。在籍11年で2度の優勝。私は選手時代から応援していた。ドラゴンズ生え抜きで優勝したのは星野仙一ただ1人。世紀のトレードでロッテから落合博満を引き抜いたのは星野さん。ドラフトで立浪和義を1位指名したのもこの人。与田剛も含めて後のドラゴンズの監督を3人も連れてきたと言うだけでも星野仙一はすごい。
第1次の時に台湾から郭源治、第2次に韓国から宣銅烈を連れてきてリリーフを含めたエースにしたのもすごい。山本昌をアメリカ留学させてエースにしたのもすごい!
では、第1位は、当然落合博満。何しろ戦力を補強せず底上げだけで監督初年度、それも初めての監督なのに優勝させたのだ。前年の山田久志監督はたまったもんじゃない。クライマックスシリーズで2位から日本一になるという下克上を果たしたのが落合さん。
退任が決まった途端、快進撃が始まり優勝したのも落合さん。これだけドラゴンズを強くしたのに試合がつまらないだの、客が来ないだの言いがかりをつけられた末に退任に至ったというのもこの監督ならでは。
落合監督の野球は基本に忠実。ノーヒットでも1点は取れる、10点取っても11点取られたら同じ負け。投手は二塁に走者を背負うのが嫌だから常にバントで送るうんぬん。基本的な野球なのに何をしでかすか分からない不気味さを相手に与えると言うすごさ。名将中の名将だ。
立浪監督はどんな監督になるのだろうか。さあ立浪監督。名将への道、スタートだ! (落語家)
▼立川志らく(たてかわ・しらく) 1963年8月16日生まれ、東京都出身の58歳。本名・新間一弘。日大芸術学部在学中の85年10月に落語立川流家元の立川談志に入門。88年に二つ目となり、95年に真打ち昇進。映画に造詣が深く、「シネマ落語」で注目を集める。98年の「異常暮色」で映画監督デビュー。2003年に劇団下町ダニーローズを結成した。TBSテレビ系の情報番組「ひるおび!」でコメンテーターを務める。
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