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寂聴さん 女性の生き方説く

2021年11月12日 05時00分 (11月12日 10時14分更新)

恋を多くしなさい。でも自分を粗末にしてはいけない

 恋に生き、女性の生き方に向き合い、慈愛を説いた九十九年だった。小説執筆、社会活動、説法で注目を集め続けてきた瀬戸内寂聴さんが九日、亡くなった。幅広い活動で、文化、芸能を中心に各界の人々を魅了する一方、記者にかわいらしい素顔をのぞかせる一面もあった。訃報が伝わった十一日、その死を惜しむ声が広がった。

卒業生に囲まれ笑顔を浮かべる学長時代の瀬戸内寂聴さん(中央)=1991年3月23日、敦賀市の敦賀女子短大で


敦賀の教え子ら悼む


事務局長「大変優しい方」

 瀬戸内寂聴さんは一九八八(昭和六十三)年四月から九二(平成四)年三月まで、敦賀市の敦賀女子短期大学の学長を務めた。当時同短大の事務局長として瀬戸内さんと関わっていた同市の羽根勝彦さん(78)は「大変優しい方で、人の痛みに寄り添う心を持っていた」と振り返る。
 当時設立から二年の同短大は学生の募集に苦労しており、小説家として影響力のあった瀬戸内さんに白羽の矢が立った。瀬戸内さんは源氏物語の解説などの授業を週一回担当していたが、市民の聴講希望が殺到。週二回に授業を増やし、福井市や滋賀県からも聴講者を集めた。忙しい予定の合間を縫って県内の高校を訪れ、進路担当の教員に同短大を紹介するなど、学長として精力的に活動していたという。
 同短大の図書館には瀬戸内さんが選んだ小説など三千冊余りが寄贈され、「瀬戸内文庫」として並べられた。学長室にはたびたび学生が訪れ、瀬戸内さんに悩みを相談することも。羽根さんは「雲の上の人というイメージだったが、常に親身に学生の相談を聞いていた」と話し、故人を惜しんでいた。
 また当時、敦賀女子短大秘書科の学生だった八代満津恵(やしろ・みつえ)さん(埼玉県在住)は、学長の瀬戸内さんと話をしたり、卒業式の日に学長室で一緒に写真を撮ったりしたという。「人生は一生に一度だから、恋を多くしなさい。でも、自分を粗末にしてはいけない」と教えられたという。
 人の気持ちを温かく受け入れてくれる人で、いつも明るくおおらかに接してくれた印象が残っている。「コロナ禍前に同級生たちと京都に会いに行こうと話していましたが、行けなくなってしまって。ニュースで訃報を聞いてびっくりしました」と残念がった。 (林侑太郎、福田正美)
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