PL学園時代に立浪主将から「落ち葉を掃こう」邪念が消えて開けたプロへの道…中日・片岡2軍監督に訪れた恩返しの時
2021年11月8日 10時50分
◇渋谷真コラム・龍の背に乗って 新生竜特別版(10)
片岡篤史が立浪と出会ったのは、15歳の春だった。世間では「翼の折れたエンジェル」が大ヒットしていた。PL学園は少数精鋭。しかし、エリートは同列ではなかった。謙遜もあるだろうが、片岡は言う。「僕と監督では、入学した時から違っていた」。早熟で天才。立浪を見た片岡は、自分が「大勢の中の1人」だと悟った。
令和の球児には想像もつかない昭和の強豪。グラウンド、学校、寮は同じ敷地内にあり、食事の配膳から練習着の洗濯まで、後輩が先輩の世話をする。1年生は洗濯機の順番を争い、敗者は少ない睡眠をさらに削る。目覚まし時計はあるが、鳴ってはいけない。理由は恐らく、誰も知らない。
立浪は2年生でレギュラーになり、新チームでは主将に選ばれた。片岡はギリギリのレギュラーだった。転機は2年の晩秋。慣習により、最高学年が研志寮で同部屋になる。立浪は片岡を指名した。翌春のセンバツ出場は内定していたが、目標の全国制覇のためには片岡の成長は欠かせない。立浪は「徳を積む」ことを提案した。
「PLの教えなんです。落ち葉を掃き、徳を積もうと。とはいえ『何で?』ですよ。毎朝5時半にたたき起こされて…」
敷地内には広大な林が広がっている。掃いても集めても、落ち葉は減らない。寒い。眠い。しんどい…。しかし、3日、1週間、半月と続けるうちに、同じ作業時間なのに集めた袋の数が増えていった。
「無心でやれるようになったからでしょうね。僕を誘ったのも、きっとキャプテンの立場で、広い視野で見ていたからじゃないでしょうか。プレーでも欲や我が出ていたのが、邪念が消えた」
春に続き、夏も全国制覇した時、片岡は4番を任されていた。35年前の落ち葉掃きを、今でも「大きなターニングポイントだった」と言う。そしてワンオブゼムがプロへ行けたのも「あのときのおかげ。だから恩返しをしたい」とも。互いの引退セレモニーには駆けつけ、花束を渡した。親友というよりは戦友。成功はもちろん、痛みも分かち合うことになる。(敬称略)=おわり
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