自分をベンチへ追いやった後輩にもアドバイス…「立浪さんを超えられなかった」凄み知る森野コーチが再び触れた気概
2021年11月7日 10時30分
◇渋谷真コラム・龍の背に乗って 新生竜特別版(9)
人生とは不思議なものだ。選手として立浪をベンチに追いやった森野将彦が、今度はコーチとして立浪を支えるのだから。竜の歴史が動いたのは2006年初夏。ただし、前年の秋季キャンプから、歯車はゆっくりと回転していた。
北谷球場のサブグラウンドで、就任2年目の落合博満監督が森野にノックを浴びせていた。11月とはいえ、沖縄は暑い。水分補給せずに延々と続き、森野は脱水症状でダウンした。のちに落合が「あの時、オレは人を殺してしまったと思った」と打ち明けたほどの壮絶な練習。何としてでも森野を育て、三塁を守らせたかったのだ。
ところが開幕直前の骨折で、森野は離脱。5月に1軍に復帰した時も、荒木が不在で森野は二塁を守っていた。運命の日は7月1日。前日に5安打を放っていた立浪だが、重盗の際のベースカバーがわずかに乱れた。立浪は今でもミスだと思ってはいないが、落合はそうではなかった。以後、立浪が三塁守備につくことは2度となかった。当時の立浪は36歳。しかし、27歳だった森野はこう話す。
「僕にとって立浪さんは永遠の憧れ。いつまでもそう思っていたら、試合には出られない。ライバルなんだと思おうとしましたけど、僕は(立浪が引退する)09年まで、自分がレギュラーだと言ったことはないんです。結局は立浪さんを超えることはできなかった」
追い抜いたから試合に出ているとは、一度も思えなかった。ベンチに追いやった森野だからこそ、知る立浪の凄みがある。技術、実績、気力…。それだけではなかった。
「あの頃、僕からは近寄ることなんかできなかったです。でも、立浪さんは僕にアドバイスしてくれたんです。ここが崩れている、こうした方がいいって。あれで僕は救われた」
自分を追いやった後輩であろうとも、打撃を教えられる。これこそが3人しかいないミスタードラゴンズの称号を得た理由。立浪の気概に、森野は触れたのだ。(敬称略)
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