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「調度丸跡」曲輪 築城初期造成か 七尾城跡の市教委発掘調査

2021年11月4日 05時00分 (11月4日 10時28分更新)
発掘調査の結果報告を聞く研究者や関係者ら=七尾市の七尾城跡で

発掘調査の結果報告を聞く研究者や関係者ら=七尾市の七尾城跡で

地元住民らに結果報告会

 七尾市教委が発掘調査する同市の国史跡・七尾城跡の「調度丸(ちょうどまる)跡」を区切る曲輪(くるわ)が、城中心部と同時期の築城初期段階に造られた可能性が高いことが分かった。周辺の地形と地中を調べ、築城時期以降の工事の形跡がないため。戦国時代に畠山氏が城中心部を築いた十六世紀前半から、前田利家が入城し廃城になった同世紀末ごろまで大まかな変遷も分かってきた。 (大野沙羅)
 武具を調えた場所とされる調度丸跡は本丸跡(標高約三〇〇メートル)の約二十メートル下に位置し、東西約六十メートル、南北約四十メートル、面積約二千二百五十平方メートルの範囲。遺構は江戸時代作成と推定される古絵図に名前が記されているが、さらに詳しい用途や明確な築造年代などは分かっていない。
 市教委は、昨年度から初めて城中枢部分の本格発掘調査を開始し、少なくとも三つの異なる時期の遺構を発見。曲輪のある下層、石が並ぶ中層、石塁のある上層があり、中層には火災の跡とみられる焼け焦げた土を発見。また、南北に延びる石塁の出入り口や建物の柱を支える礎石(そせき)などを確認し、建物や池状の遺構があることが分かっていた。
 本年度は九月から約百平方メートルの範囲を発掘。石塁の延長状況を調べると、北側に石塁は確認できなかったが、旧地形が西側に落ち込む谷の形状と分かった。西側の土から遺物が発見されなかったため、山を削って曲輪の西側の一部を埋め立てたのは築城当初の造成時と考えられるという。また、石垣は地層を調べた結果、最も新しい時代の上層の石塁と同時期かそれ以前に造られた可能性があると判明。石垣は庭園にあった石だった可能性もありさらに分析を進める。
 これらの結果から▽曲輪を造成▽礎石建物のある時期▽庭石状の石垣があった時期▽火災を受け整地▽石塁が造られた▽石塁出入り口を改修−など調度丸跡の変化は分かったが、時期の前後などは不明なため今後詰めたい考え。
 三日に地元住民と関係者に向けた発掘調査の結果報告会で明らかにした。今年の調査は十五日まで。市教委の北林雅康専門員は、出土品の整理をし「関係者と解釈について協議し時期を絞り込みたい」と話した。

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