本文へ移動

立浪新監督“最大の逆境”は2013年秋…ショックだった年下の谷繁監督就任「東京中心に仕事を」決断から翻意まで

2021年10月30日 10時04分

このエントリーをはてなブックマークに追加
中日ドラゴンズの監督就任が決まり、会見する立浪和義さん=29日

中日ドラゴンズの監督就任が決まり、会見する立浪和義さん=29日

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って 新生竜特別版(1)
 新監督の「今」は、栄光に彩られた高校や現役時代だけでは知ることができない。引退から就任まで12年。この空白期間に刻んだ年輪がある。立浪監督、そして支える新コーチの物語を連載する。
 ◇  ◇  ◇
 高校では春夏の甲子園を連覇。ドラフト1位で入団したプロでも、1年目の開幕戦から出場し、名球会員まで上り詰めた。順風満帆だった立浪の野球人生で、最大の暴風雨はあの秋だったのかもしれない。2013年10月。立浪は解説者として、僕はCS取材のために甲子園を訪れていた。試合後に大阪市内の焼肉店で合流。しかし「乾杯!」。となるわけもなく、まるで通夜振る舞い。料理も運ばれないうちに、立浪はこう言った。
 「長い間、お世話になりました。本当はそう言おうと思ってきたんですよ。名古屋ではなく東京を中心に仕事をしていこうかと」
 しんみりとした宴だったのも、立浪が思い詰めていたのも同じ理由である。この直前、中日の新監督に谷繁元信が就任することが発表された。立浪からすれば戦友だが年下。祝福したい気持ちはあるが、それ以上にショックを受けた。ましてや負担の重い選手兼任。引退して4年がたち、指導者になる準備はできていたが、これがドラゴンズの答えだと受け止めた。
 仕事の中心を東京に移す。それは愛するドラゴンズと距離を置くのと同義でもあった。重大な決意。しかし、この話をした時には、すでに翻意していた。彼は携帯電話に届いたメールを見せてくれた。
 「名古屋にはあなたを応援してくださる人がいるのでしょう? その人たちのためにも、あなたは名古屋で頑張るべきです」。差出人は立浪夫人だった。立浪は言った。「女房が僕のやることに反対したのは、これが初めてかもしれません」。立浪は名古屋に残り、人生の逆境を耐え抜いた。
 かつて、星野仙一も同じことを言っていた。1度目の監督を終え、評論家生活を送っていた時、星野は東京に出ようとした。それを止めたのも夫人だった。「あなたを育ててくれたのは名古屋の街、人でしょ。そのおかげで今があるのだから、私は行きません」。歴史は繰り返す。妻は強く、そして正しかった。
 時に交わり、時に平行してきた星野と立浪の野球人生。僕が2人の因縁を再び感じたのは、あの秋から5年後のことだった。(敬称略)

関連キーワード

おすすめ情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ