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もしあの時放出してたら今も“球界の笑いもの”…与田監督の大きな功績は『大野雄が中日のユニホームを着ている事』

2021年10月24日 09時40分

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中日・与田監督(右)と大野雄=13日

中日・与田監督(右)と大野雄=13日

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って  ◇23日 DeNA5―0中日(横浜)
 与田監督の下での3年間もあと1試合なのに、ムードは新監督一色。それも勝負の世界に身を置く者の宿命だ。ただ、僕はこの体制が終わるときに必ず書くと決めていたことがある。
 「あの頃の僕は、すっかり自信を失った投手になっていたんです」
 大野雄がしみじみと振り返ったのは、2018年の秋だ。元気なのに登板6試合、未勝利。本人は「勝てなかったのは僕が悪い」と言うが、僕にはそうは見えなかった。「サラリーマンは上司を選べない」とはよく言うが、実は野球選手も選べない。何度も浮上したトレード話は、体制が一新されてもくすぶっていた。「冗談じゃない。大野は絶対に残してもらわないと困ります」。鎮火したのは与田監督のこのひと言だった。
 就任後は、大野雄を直接呼び「今までのことは忘れて、新たな気持ちでやってくれ。170イニング投げる。そんな役割を期待しているから」と声をかけた。エースの記憶にあるのは19年3月19日。すでに本拠地開幕の先発を言い渡され、オリックス戦(ナゴヤドーム)で最終調整に臨んだ。
 「その前の日でしたかね。監督と話していて『まだ自信ないです』と言っちゃったんです。すると監督は『絶対大丈夫。オレは信頼して雄大を使う。何の心配もしなくていい』と言ってくださったんです。あの時ですね。自分がそんな気持ちでどうすんねんって思えたのは」
 7イニングを3安打、1失点に抑え、大野雄の自信は回復した。その年に最優秀防御率とノーヒットノーラン。翌20年には防御率と沢村賞。そして今季は金メダル。もしあの時放出していたら、ドラゴンズは今も球界の笑いものになっていた。
 「あのままだと野球人生が終わっていた。タイトルなんかなかったと心から思います。僕があるのは監督のおかげ。このユニホームは着られてないです」
 選手は上司を選べないと書いたが、球団なら選べる。FA権を取得しながら彼が残留を選んだのも現体制と無関係ではない。つまり今、大野雄が中日のユニホームを着ていること。それ自体が与田監督の大きな功績である。
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