本文へ移動

戦災孤児、はかなき理想郷 詩人が私設の「久留米勤労補導学園」

2021年10月19日 05時00分 (10月19日 05時01分更新)
中込施設長(前列の中心)とともに、戦後のひとときを過ごした久留米勤労補導学園の子どもたち=中込律生さん提供

中込施設長(前列の中心)とともに、戦後のひとときを過ごした久留米勤労補導学園の子どもたち=中込律生さん提供

  • 中込施設長(前列の中心)とともに、戦後のひとときを過ごした久留米勤労補導学園の子どもたち=中込律生さん提供
  • 久留米勤労補導学園があった旧北多摩陸軍通信所の官舎跡地と藤井さん(左)ら=東京都東久留米市で
 久留米勤労補導学園。この名前に、ピンとくる人はほとんどいないだろう。近年は新聞記事で取り上げられたこともない。かつて東京にあった戦災孤児の小さな施設だ。子どもの貧困、虐待…。子どもが時代の「しわ寄せ」を食うのは常なのか。乏しい資料と証言をたどってみた。見えてきたのは、「孤児の『理想郷』」を掲げて奮闘した、一人の詩人の姿だった。 (木原育子)
 一九五四年発行の「都政十年史」。戦災孤児の保護先に久留米勤労補導学園の名が刻まれている。
 学園の場所は旧久留米村(現東京都東久留米市)。住所をたどると、海外の無線傍受の重要拠点だった旧北多摩陸軍通信所に近い。
 戦後の児童福祉を研究してきた元明星大教授の藤井常文さん(72)は「研究者の間でもほとんど知られていない。ただ、民間施設でありながら、当時の都政史に名を連ねているのも珍しい。行政から頼られていたのではないか」と推測する。
 東久留米市郷土資料室に尋ねると「施設があったと聞いたことはあるが、資料は全く残っていない」。手掛かりはないのか。九月上旬、藤井さんらと、学園があった場所を訪ねた。
 「戦災孤児の施設? 初耳です」。近くの工場に勤務している男性...

中日新聞読者の方は、無料の会員登録で、この記事の続きが読めます。

※中日新聞読者には、中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の定期読者が含まれます。

関連キーワード

おすすめ情報