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【とやま写真館】 高岡古城公園(1907〜18年ごろ)

2021年10月17日 05時00分 (10月17日 12時57分更新)
運動会競技が開かれていた本丸跡。明治末期から大正にかけての古絵はがきの写真から=高岡市古城で(高岡市博物館提供)

運動会競技が開かれていた本丸跡。明治末期から大正にかけての古絵はがきの写真から=高岡市古城で(高岡市博物館提供)

  • 運動会競技が開かれていた本丸跡。明治末期から大正にかけての古絵はがきの写真から=高岡市古城で(高岡市博物館提供)
  • 憩いの場として市民が訪れる本丸広場=高岡市古城で

歴史残る憩いの場所

 高岡市の中心部に位置する広さ二十一万平方メートルの広大な高岡古城公園(史跡・高岡城跡)の本丸広場。芝生の広場は市民の憩いの場として親しまれている。
 加賀前田藩二代当主の前田利長が一六〇九(慶長十四)年に築いた高岡城は一五年の一国一城令により廃城。明治初期の一八七〇年に当時の金沢藩が民間への払い下げを決めたが、七三年の公園条例公布により「古御城(ふるおしろ)」の公園指定運動が活発化。二年後に高岡公園に指定された。射水神社が二上村から本丸跡の一部に遷座され、このころに本丸跡で運動会競技が催された時期もあった。
 一九三九(昭和十四)年に県史跡に指定され、四七年に本丸球場が造成。五一年は高岡産業博覧会でにぎわい、六七年に県定公園に指定された。
 市制九十周年の七九年には「芸術の森」として有名な彫刻家たちのブロンズ像群を設置。市制百周年の八九年からしばらくは高岡野外音楽劇「越中万葉夢幻譚(むげんたん)」の舞台になった。
 「日本の100名城」に選ばれ、詳細調査で利長の御殿とみられる礎石が確認され、二〇一五年に国史跡に。石垣や水濠(すいごう)などの歴史を今に残す高岡城跡であり、市民が愛する公園。晴れた日の午後、前田利長公像がある本丸広場の芝生の上でキャッチボールする親子の姿があった。(武田寛史)

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