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欧米意識の姿、変遷たどる 工芸館1周年記念「《十二の鷹》と明治の工芸」

2021年10月16日 05時00分 (10月16日 11時32分更新)

北陸では初めてそろって公開された「十二の鷹」

生き残りかけ超絶技巧

 国立工芸館(金沢市出羽町)で、移転、開館から一周年を記念した企画展「《十二の鷹》と明治の工芸」が開かれている。武家社会から大きく社会が転換する中で、生き残りをかけて欧米を意識しながら変貌した明治の工芸。約百点の作品を通して、近年は超絶技巧としても注目を集めるその変遷をたどる。(松岡等)
 重要文化財「十二の鷹」は、金工家の鈴木長吉(一八四八〜一九一九年)が制作を指揮し、一八九三年の米国シカゴ万博に出品された。北陸では初めてそろって公開となった。記録を参考に失われていた飾りひもと布を復元し、発表当時の展示の姿を再現している。

初代宮川香山 「鳩桜花図高浮彫花瓶」1871〜82年ごろ(東京国立近代美術館蔵、撮影:アローアートワークス©2005)

 二十四人の職人が四年をかけて、一体一体のタカのしぐさや表情を精巧な鋳造技術と巧みな金属の色で表現。伝統的な超絶技巧として近年は再評価される明治の工芸を代表する作品だが、一方で最近の科学的な研究で、細かいパーツが内部のねじやボルトで精巧に止められていることや、一部の金属の色が当時、始まったばかりの電気メッキを使っていることも見えてきたという。
 明治の工芸は、過剰な装飾や技巧に偏った表現などで以前はマイナスのイメージもあった。それは欧米への輸出をにらみ生き残りをかけた戦略でもあった。豪華絢爛(けんらん)な薩摩錦手に、鳥や植物を彫刻を思わせる細工で表現する「高浮彫」を加えた初代宮川香山(一八四二〜一九一六年)が、拠点を京都から横浜に移したのも海外に目を向けてのことだった。

七代錦光山宗兵衛「上絵金彩花鳥図蓋付飾壺」1884〜97年ごろ(東京国立近代美術館蔵 撮影:アローアートワークス©2005)

 しかし、その後の国内外の不況と華美な装飾の実用性のなさが指摘され、釉薬(ゆうやく)技法を取り入れた優美な作風へと大きく変化。香山は、顔料で絵付けをした後に釉薬をかけて高温で焼成することで、表面の滑らかさと透明感による奥行きを感じさせる釉下彩へと移行させていく。
 展示では、伝統技法を生かした豪奢(ごうしゃ)な陶芸、七宝、金工、蒔絵(まきえ)などの明治期の工芸がどのように変遷し、やがて作家性や地方の工芸にルーツを見いだしていった大正、昭和の工芸へと移り変わっていく様子も紹介ている。
 十二月十二日まで。月曜日休館。

▽館長「より分かりやすく」

 昨年十月の金沢移転から一年、国立工芸館はコロナ禍で開催した四つの企画展で度々、休館を余儀なくされた。唐沢昌宏館長は「やれることを粛々とやるしかない状況だったが、開催できた展覧会では目標を上回る人に来ていただけた。これからも工芸の魅力を分かりやすく伝えられるよう努力したい」と話した。
 夏休みの子供たちや家族連れをターゲットにした企画展は六十二日間を予定しながら十四日しか開館できなかった。「人とかかわるイベントもほとんどできなかったが、手探りで開催したオンラインによるワークショップなどは好評だった」と評価した。
 金沢移転について「北陸でコレクションを見せることができ、地元の作家が全国的に見ても全く劣ることがないことが分かっていただけたはず。それによって活性化もした」と、地元への効能を語る。一方で「北陸の人は目が肥えている分、頭でっかちな部分もある」と指摘。「より分かりやすく伝えていくという方向性は見えたのではないか」と強調した。

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